カテゴリー「コラム 」の168件の記事

2011/07/02

サービス終了のお知らせ

2011年6月30日をもって、僕の利用していた二つのサービスが終了しました。

 ・松江SNS
 ・@niftyビデオ共有

どちらも最近のアクティビティは高くなく、どちらかと言えば放置気味だったことは否めません。
でも、どちらにもそれなりに力を注いで情報を入れていたので、7月1日になってアクセスできなくなると、何となく物悲しさを憶えます。

Ubuntuでの環境設定を公開したり、オープンソースサロンの実況中継をしてみた松江SNSでは、色々なコメントを頂くことで、何となく誰かのお役に立てているような気持ちになれたものでした。

@niftyビデオ共有では自分で撮った空手の型のビデオを編集し、初心者のためにと公開していて、厳しいコメントもあったりしましたが、概ね目的どおり初心者の方々のお役に立てていたのではないかと感じています。

もちろん、大人の事情でサービスを終了されるのだし、無料で利用している立場からこれに対し文句を言う事もありませんが、これらの痕跡が消えてしまうのが少し悲しいです。
残しておけば、もう少し誰かのお役に立てたものがあったかもしれません。

そういうことも含めて、オンラインサービスを利用するにあたっては検討しておく事がいくつかあるのかなと感じます。
結局、自分でお金を出して環境整備しないと継続は難しいのでしょうか。

mixi、FC2、YouTube、Twitter、Facebookなどなど、今でも様々なサービスを利用しており、どちらかと言うと収集がつかなくなっている感じですね。

@niftyさんを長く利用させて頂いておりますが、WebサイトのURLが変更になったり、メールが使えなくなったり、利用しているサービスが終了したりと...ここ数年もやもやすることが続いていますが、まだしばらく替える予定は無いので、よろしくお願い致します。

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2011/02/28

Truth is more of a stranger than fiction.

Some times, something happen to me.
Something is very small thing, something is very big thing.

Some times, it's very very easy for me.
Some times, it's very very heavy for me.

The heavy thing makes to change the easy thing to heavy.

When I saw a movie or read a novel, I think it might not be happen to me.
But, very similar things happened to me, some times.

Every one have each there life.
Each one is not normal, but not special.
So, my life is not normal.
But, my life is not special.

It's just there life.
It's just my life.

Some times, it's easy.
Some times, it's heavy.
It's usual.

So, it's just someone's life.
We can do just live our life.
I can do just live my life.

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2011/02/19

「いつでも良い」ということ

「いつでも良いので、時間のある時にお願いしますね」

パターン1

「いつでも良い」なら、急がなくても良いかな。
他にしなくてはならないことがあるので、後回し。
どうせやればすぐに終わるので。
何日か経ったら、ちょっと忘れちゃってた。
更に何日か経ったら、「もうあれは良いので...」って...
ああ、いつでも良い程度のことだったから、もう良くなったのね。
そして徐々に誰からも何の依頼もされなくなっていく...

パターン2

「いつでも良い」ということなので、さっさとやってしまっておこう。
どうせやればすぐに終わるので。
「終わりましたよ」
「ありがとう。本当にいつでも良かったんだけど、何だか急がせてしまったみたいで...」
数日後、「これはつまらないものだけど」とお礼を頂く。

パターン3

「いつでも良い」ということなので、さっさとやってしまっておこう。
どうせやればすぐに終わるので。
「終わりましたよ」
「なんだ、暇なのか」
...そしてまた次の仕事がやってくる。

こんなに単純じゃないけどね。
でも、以外とこんなに単純かもしれない。

人には得手、不得手があるから、やりたくてもできない事もある。
したくないから、しないこともある。

未来への想像力は経験ばかりでは培われない。
未来への想像力は訓練で育つかもしれないし、しないかもしれない。

所詮、想像力なので、それだけでは何も産まれはしない。
でも、想像力がなければ何も産まれるきっけができない。

でも、想像力がないと何かを失うきっかけになることがある。

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2011/01/29

人生劇場

僕は一人の役者さんでしょうか。
あなたも一人の役者さんでしょうか。

それぞれがそれぞれに割り当てられた役を演じて生きているのでしょうか。

最初は何もわからず、
次第に自分の役割を見つけながら、
時には本当の気持ちをアドリブで表現しつつ、
時には演技なのか何なのかわからなくなりながら、
人生劇場の舞台に立っているのかもしれない。

良い事もあれば、悪い事もあり、
大きなイベントを何度も経験する役もあれば、
全く何も起こらない役もあったりします。

人生劇場の舞台において、主役は自分であり、
周りの人全員が観客で、自分もまた他の人にとっての観客。

みんなに舞台を楽しんでもらうためには、
良い事ばかりの役では面白くないのかもしれない。
悪い事ばかりの役の方が楽しんでもらえるのかもしれない。

喜びや悲しみ、
快感や痛み、
幸福や不幸、
たった数十年の期間に、僕たちは色々な思いをしながら演技をしているのかな。

苦しい毎日だから、悪い舞台というのではなく、
楽しい毎日だから、良い舞台ということでもないかもしれない。

ある脚本の中にいて、次の幕で繰り広げられる幸せや不幸をよりドラマチックに演じるために、僕は今、何をしなくてはならないのだろうなどと考えてみる。

そうすると、一人の時間を作っていてはいけないような気がしてくる。
もちろん、一人の時間にきちんと準備をしなくてはいけない。

脚本を読み間違えないで、より多くの観客に見てもらうことが、
人生劇場では大切なことなのかもしれないと思ったりしています。

さて、何のことだかわからない。

とりあえず、家の掃除をし、掃除が終わったらお昼ご飯を食べ、
図書館へでもテスト勉強しに行こうかな。

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2010/08/06

進化

人間は知識を知恵に昇華させ、様々な進化の過程を経て今の世の中を築いてきたと思います。
様々な環境の変化に対応するため、工夫を続けながら今の世の中を築いてきたと思います。

あげくの果て、人同士の変化に対応するための工夫をしている。

でも、多くの犠牲、損失をともないながらの進化は、副作用の大きい薬を飲みながら生き急ぐのと何が違うのだろう。

僕の苦労は、次の苦労を生産していて、その苦労はまた次の世代に引き継がれていく。

機械は働くために作られ、そして動く。
動くとどこかが摩耗し、いずれ壊れる。
すると、次の機械が作られ、そして動く。
動くとどこかが摩耗し、いずれ壊れる。

「十年一昔」ですよ。

畑の中でふと下を見ると、足下で動いているこの虫はいつからこの姿なのかなと考えてみる。

人間が何十年、何百年と努力し、真偽のわからない幸福を得るために苦しみ、多くの犠牲の果てに得た幸福のためにまた新しい苦しみを感じながら生きている間、何十年、何百年と同じように生きている虫達。

ふと、どちらが高等生物なのかなと疑問を感じてしまう。

他の犠牲が無いと生活できないのは、きっと人も他の生き物も同じ。
でも、過剰な浪費をしているのはもしかして人間だけだったりしないだろうか。

それが進化なのだろうか。

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2010/04/09

「Webサイト」という表現は、言ってわかる人にはそう言うし、「ホームページ」でしか伝わらないのならそれでいいです。

先日、「ホームーページ」という単語を「HTTPで配信しているHTMLで記述されたデータ」という意味で使っていたら、「ホームページというのはWebサイトのトップページのことで、本当はWebサイトって言うんですよ」と説明されました。

どうでも良い事かなとも思ったけど、相手がとても自信満々に話すから、「では、IEのプロパティやFirefoxの環境設定にあるホームページって、自分の好きなページを設定出来るけど、あれはどこかのWebサイトのトップページのことなの?」と聞き返してしまいました。

すると、「それは用例の一つで、トップページの事を言うときもあるし、ブラウザで設定するWebページのことを言う時もあるんです」と主張されました。

そしたらついつい「じゃぁ、どっちが正しい意味なの?」と聞いてしまうと、「いろいろな表現があるので、どちらでも正しいです」って...

「じゃぁ、Webサイトとホームページの違いってなんですか?」って聞いたら、「それはあまり重要ではない」とのことでした。

「で、どうして僕がホームページって言ったら間違ってると言うの?」というと...返事はありませんでした。

以前の記事(下記リンク先参照)でも同じような事を書いたかもしれませんが、僕は会話の中ではWebサイトと言おうとホームページと言おうと別にどちらでもかまわないと思っています。
それは、意味が通じればそれで良いと思っているので。

「ホームページ」は日本語かもしれない

ただ、最近やたらと「Webサイトという表現が正しくて、ホームページという言い方は間違っている」といろいろな人から聞かされるので少し反抗したくなってしまいます。

しかも、多くの場合あまり詳しくない人ほど強気で主張してくるので、ついつい理論武装して反撃してみるのですが、結局こんなことを強く主張する人の多くのは理論武装されると感情論に走ってしまい、間違っているか合っているのかなんてどうでも良くなったまま会話が終了してしまいます。
そして、自分が始めに言い出したことを忘れ、屁理屈だとか、会話にならないとか言われたりします。

でもこれが、IT系の技術者との会話なのが少し悲しい。

そんなこんなで、そういう結果になると簡単に予想出来るのに、いつも同じ事をしてしまう僕がいます。
とどのつまり、毎回同じ過ちを繰り返し、結局間違いを正す事のできない僕が一番間違っているのかもしれない。

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2010/04/01

不知入的方法, 如何能看内

先日、RubyのスクリプトでActiveDirectoryのユーザーとパスワードを使った認証に挑戦していて、強く感じたことです。

特に知りもしない中国語で漢文っぽくタイトルを書いてみましたが、言いたい事は「入り口がわからないのに、どうやって中を見る事ができるのか」ということです。
ちなみに英語で書くと「How to see inside, if you don't know how to go inside.」かな。
特に別の言語で書く事に意味はありませんが、ちょっと面白いかなと思って書いてみました。
* 有識者の方で間違いを見つけられた方がおられましたら、教えて頂けると大変助かります。

閑話休題。

さて本題に戻って、実は数ヶ月前にもActiveDirectoryにアクセスしてユーザー認証を試みたことがありました。でも、その時はあまりにActiveDirectoryについての知識が無く、ネットで検索しても書かれている言葉の意味がわからなくて全然解決策が見つからなかったし、検索に使うべき最適な用語もわかりませんでした。
そして、一回挫折して数ヶ月経った先日、再びチャレンジしてみた結果、とりあえずうまくいったというのがこの想いのきっかけです。

前回の挑戦は、ここで書くところの「入り口がわからない状態」でした。
だから、どれほど頑張っても中を見る事はできません。

今回は、入り口を見つける事ができ、その道通りに中へ進み、その内側を見る事ができるようになったような気がしています。
そして、中に入ってみると中を見渡すのは意外と簡単で、その中で次々といろいろなことを試す事ができるようになるもののような気がします。

入り口の見つけ方は様々かもしれません。
自分で見つけるのも一つ。
人に聞くのも一つ。
時には、自分から探していなくても誰かが親切に入り口へ導いてくれるかもしれません。

たまたま、僕は暗中模索中に良き理解者に恵まれ、憎まれ口を叩きながらも親切に教えてくれる人がいたから結果的に成功する事ができました。感謝、感謝。

こんな小さな成功を積み重ねる事が、大きな成功につながるというのも僕の持論の一つ。

というところで、何かの入り口を見つける方法の一つになる可能性を持ったイベントを一つ紹介します。

OpenOffice.org講習会(入門編) * 受講料無料!!

4月14日と21日(水)に松江テルサ別館「オープンソースラボ」にてOpenOffice.orgの講習会が行われます。時間や内容、申し込み先等の詳細は下記リンク先にあります。

しまねOSS協議会

もしかするとOpenOffice.orgにはMS社のOfficeスイートより優れた点は無いのかもしれない。
でも、OpenOffice.orgにはMS社のOfficeスイートには無い利点があるかもしれない。
また、OpenOffice.orgを知る事で、よりMS社のOfficeスイートを使いこなせるようになるかもしれない。

僕も、そんな様々な想いを胸にこの講習会に参加してみようと考えています。もし、興味のある方がおられましたら一緒に参加してみられませんか?

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2010/01/24

「科学的な見方・考え方」と「技術者倫理」

今日は放送大学の単位認定試験です。

僕の今学期にとった科目は、タイトルにあるとおり「科学的な見方・考え方」と「技術者倫理」です。
本物のエンジニア様方には笑われるかもしれませんが、元技術者の端くれとして科学技術の片隅で仕事をしていた(と思っている)僕にはとても興味深い科目でした。

このどちらの科目も科学技術に関するタイトルとなっていますが、その根底にあるものは「人」なのだという気がしました。

技術者にあっては、常に自己研鑽をし、自分の専門とする分野を追求するのはもちろんですが、専門としない分野にも目を向け、自分が専門とする技術を利用する人、それを利用する人により影響を受ける人または社会、環境までを見る必要があるのかもしれません。

でも、そんなことをしていたら自分の専門とする分野を追求できないような気もします。
だからと言って、「そんなことしなくても良いのか」というとそういうわけではありません。

では、それは技術者のみが努力すべき事なのでしょうか。

専門技術により支えられたこの社会において、その恩恵を受ける人もやっぱり知っておくべき事があるのではないでしょうか。もし専門分野に偏った知識しか持っていない技術者が良くないのであれば、専門知識の全くない一般庶民もやはり良くないのではないでしょうか。

ただ、「考え方」というものはどこから学ぶのかと考えた時、それは社会からだと思うのですよ。

現代では、みんなが日々の生活に追われすぎるために、倫理やマナーを社会全体で造成する努力を怠り、そのことが目先の利益や裕福さに囚われて善悪を判断する社会にし、その結果として社会がまた人々の日々の生活から余裕を無くしているような気がしてなりません。

そのような社会が生み出す「技術」とは何なのか。

今、僕たちの行動や考え方の多くは、その昔やってはいけないことだったり、恥ずかしいことだったりしないでしょうか。

物の豊かさを追いかけていたらきりがありません。
ありきたりな言葉かもしれないけれど、幸福はお金で買う事はできなくて、幸福は心で感じるものなのではなかったでしょうか。子供の頃に読んだ本の多くに書かれていて、みんな知っているはずなのに、多くの人が大人になると実践出来なくなってしまう。
「喜びや嬉しさ」と「幸せ」は、類似点があっても本質的に違うもののような気がします。

子供の理科離れは、実はそういう社会だから起こっている現象ではないでしょうか。

大きな財産より、心の豊かさこそ次の世代に残すべきものなのかもしれません。
そして、その心の豊かさこそ技術者が備えるべき技術の下にあるものなのかもしれません。

「科学的な見方・考え方」と「技術者倫理」を学びながら、そんなことを感じました。

では、午後の試験を頑張ってきまーす。

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2009/11/04

何か大きな事をしたかったら、まず小さな事で「変わった事をする奴だ」と思われてしまうのが近道なのかもしれない

ホントかどうかはわからない。
証明もできない。
実例もよく知らない。
...けど、そんな気がする。

何か事を起こす時、人を説得するのはなかなか難しいです。
対等な立場の人を説得するのもそれなりに難しい。
自分と上下関係のある人を説得するのは、特に難しい。

別に説得なんてしなくても、勝手にやってしまうことだってできるかもしれない。
でも、あまり理解の無い行動は長続きしないのかもしれません。

そこで、「説得する」というプロセスに焦点を当てた時、それを簡素化することは可能なのかもしれないと感じるときがあります。

それが、タイトルにある『何か大きな事をしたかったら、まず小さな事で「変わった事をする奴だ」と思われてしまうのが近道なのかもしれない』です。

いちいち詳細を説明しなくても、それは「この人だから」というのが理由の一つとして利用できるようになれば、大きな事も意外とスムースに進むのかもしれない。

さて、「変わった事をする奴だ」と思われる方法はと言うと...

突飛なことでは意味が無い。
人のためにならないことでも意味が無い。

それは、地道で、人のためになり、そしてまだ誰もやっていないこと。
それでいて、突飛な印象を与え、ためにならないと感じさせ、誰でもできそうなこと。
...それを見つけるのが難しいかな。

さて、「気がする」とか「...かもしれない」とか、全然説得力の無い文の羅列になってしまいました...でも、これが実は小さな自信の現れだったりして。

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2009/11/02

インターネットによって世界の広がった人、狭くなった人

最近、インターネットによって何が変わったのかというのをよく考えます。

いろいろと良くなった事もあると思います。
いろいろと悪くなった事もあると思います。

ただ、よく言われている「インターネットの登場によって世界が広がった」というのはどうなのかなと思うようになってきました。

確かに、一人ではできなかったようなことがインターネットによって複数人でできるようになって、そのおかげで大きな成果を出している事例はたくさんあります。僕自身、その恩恵を受ける事もたくさんあります。

しかし、インターネットに加えて検索サイトの登場により、情報の収集が簡単になった反面、検索サイトで検索できる範囲しかわからくなってきているということもあるように感じます。

自分で動く事なく、人が集めた情報を検索サイトで集めて、あたかも自分が調べたような錯覚に陥ったまま情報を利用し、実はそこに恣意的なものが入り込んでいたり、嘘があったりするかもしれないのに検証することなく信じ込んでしまっている人を時々見かけます。

かく言う、僕もその一人かもしれません。

そもそも、検索サイトに入力する文字列は自分が知りたい事であって、自分が興味の無い事を入力することなんてほとんど無いのではないでしょうか。そして、知りたい事や聞きたい事の中でも、自分と同じ意見や自分が望むことを選別し、情報として吸収する恐れがあります。
その情報が世界を広げるというのは、難しいのではないでしょうか。

むしろ、狭くなってしまうような気がします。

こんな事、昔から言われていて、今更なことなのかもしれません。
でも、こんな事を最近本当に頻繁に考えるようになってきたので、記事にしてみました。

近年では、ブログやネット上のニュースにコメントを投稿する事が一般的になり、そのコメントを読むことでネット上の個人の意見というものに触れる機会が多くなりました。しかし、そのコメントのほとんどは、「きちんと考えて投稿されたものなのかな」と疑ってしまうような内容ばかりに感じられます。
しかも、そのほとんどが一般的に追跡不可能な情報で、ゴミのようにインターネット上に放置されています。

きっと、「そんなコメントはとるに足りないものだから気にする必要は無い」と言われる人がいるでしょう。

僕もそう思います。
しかし、そんなとるに足りないものの多さに驚かされます。

そんなことに浪費する時間があるなら、その時間を他の事に使おうよ。
って、それは僕にも言える事かな...

僕のブログもそのような情報の一つかもしれません。

ただ、本当に欲しいものはインターネット上には無いからね。
情報だけでは世界は広がらないですよ。

それは、僕にとっての今後の課題です。

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