「科学的な見方・考え方」と「技術者倫理」
今日は放送大学の単位認定試験です。
僕の今学期にとった科目は、タイトルにあるとおり「科学的な見方・考え方」と「技術者倫理」です。
本物のエンジニア様方には笑われるかもしれませんが、元技術者の端くれとして科学技術の片隅で仕事をしていた(と思っている)僕にはとても興味深い科目でした。
このどちらの科目も科学技術に関するタイトルとなっていますが、その根底にあるものは「人」なのだという気がしました。
技術者にあっては、常に自己研鑽をし、自分の専門とする分野を追求するのはもちろんですが、専門としない分野にも目を向け、自分が専門とする技術を利用する人、それを利用する人により影響を受ける人または社会、環境までを見る必要があるのかもしれません。
でも、そんなことをしていたら自分の専門とする分野を追求できないような気もします。
だからと言って、「そんなことしなくても良いのか」というとそういうわけではありません。
では、それは技術者のみが努力すべき事なのでしょうか。
専門技術により支えられたこの社会において、その恩恵を受ける人もやっぱり知っておくべき事があるのではないでしょうか。もし専門分野に偏った知識しか持っていない技術者が良くないのであれば、専門知識の全くない一般庶民もやはり良くないのではないでしょうか。
ただ、「考え方」というものはどこから学ぶのかと考えた時、それは社会からだと思うのですよ。
現代では、みんなが日々の生活に追われすぎるために、倫理やマナーを社会全体で造成する努力を怠り、そのことが目先の利益や裕福さに囚われて善悪を判断する社会にし、その結果として社会がまた人々の日々の生活から余裕を無くしているような気がしてなりません。
そのような社会が生み出す「技術」とは何なのか。
今、僕たちの行動や考え方の多くは、その昔やってはいけないことだったり、恥ずかしいことだったりしないでしょうか。
物の豊かさを追いかけていたらきりがありません。
ありきたりな言葉かもしれないけれど、幸福はお金で買う事はできなくて、幸福は心で感じるものなのではなかったでしょうか。子供の頃に読んだ本の多くに書かれていて、みんな知っているはずなのに、多くの人が大人になると実践出来なくなってしまう。
「喜びや嬉しさ」と「幸せ」は、類似点があっても本質的に違うもののような気がします。
子供の理科離れは、実はそういう社会だから起こっている現象ではないでしょうか。
大きな財産より、心の豊かさこそ次の世代に残すべきものなのかもしれません。
そして、その心の豊かさこそ技術者が備えるべき技術の下にあるものなのかもしれません。
「科学的な見方・考え方」と「技術者倫理」を学びながら、そんなことを感じました。
では、午後の試験を頑張ってきまーす。
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