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2008/07/05

記号論という考え方

放送大学にて選択している科目の中で、「記号論」についての解説がありました。
以前、どこかでこの言葉を聞いたことはありましたが、今回改めて考えてみるととても面白い考え方であると感じました。

記号学 - Wikipedia

記号論における記号の定義によれば、「自分以外の何かを示す何か」だそうです。

中でもとても考えさせられるのが「名前が先か、実態が先か」という点です。

教科書の中では犬と猫が例に出ていて、私たちはもともと「犬」と「猫」という種類違った存在に対して「犬」と「猫」という別の名前を付けていると考えるが、実は私たちはこれらを「犬」と「猫」という名前を付けることによって区別できるようになったのだというのです。

とても重要な概念だと思います。

私たちの日常にはとても多くの分類がありますが、それが分類されたものだと知るまでそれを分類できないことが多々あるのではないでしょうか。

子供を例に出してみると、言葉を覚えたての子には犬と猫の区別がつかないことがあります。その時、私たち大人がそれを両方とも「犬」であると教えれば、犬も猫もその子にとって「犬」になります。

このことから、悪いことも良いことも、きちんと教えなければ区別がつかないとも言えます。

国だって、民族だって、私たちはそれらに記号を割り当てることによってそれらを区別し、その記号の割り当て方によってそれを好きになったり、嫌いになったりしているのではないでしょうか。

もちろん、そこには違いがあるから別の記号を割り当てているのであって、全ての事象が記号付けされたことにより区別されるようになったとは言えないのはよくわかります。

ただ、これほど情報があふれた世の中では私たち自身が全ての事象を確認して分類しているわけではなく、他者の記号付けを受け入れながら生活している以上、その大半は誰かの記号を借りて判断をしていると言っても過言ではないはずです。

情報のあふれた社会における記号の扱いはとても大きな意味と力を持っているのだと、改めて痛感させられます。

これに加えて「子供だから...」という一言に込められる意味の恐ろしさやその後の対応の重要性について、親や教師、地域社会は責任ある立場としてきちんと考えていかなくてはならないですね。

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