ちょっと考え方の一例として極端な事を書いてみます。
「お金を稼ぐ」...実のところ、これは現実にとても密接した仮想なのです。
ソフトウェアで考えてみましょう。
WindowsのCDを持っていても、Windowsはその人のものではありません。
WindowsはMicrosoftのものであって、WindowsのCDを手にした人はWindowsを使用する権利を得ただけです。
お金はどうでしょう。
お札を見るとなんて書いてありますか?
「日本銀行券」...お金を持っているということは、それが自分のお金ということではなく、ある種の権利を含んだチケットを持っているだけなのです。それは国がサービスを提供しているチケットです。
とても広く流通したチケットなので、もちろんそこに関する権利は広い範囲で利用でき、とても便利なものではあります。
税金、健康保険、年金...と色々なところでお金を取られて文句の一つも言いたくなるかもしれませんが、それはお金を使っている以上、サービスの提供者が決めることができるものでもあるのです。
お金は利便性を向上させるのに有効な道具にすぎない。
しかし、とても広く流通しているから、利便性だけではなく、とても大きな公共性を有し、その扱いに身勝手な事ができないのも事実です。
この事実を知っている人は、何かしらのお金に似た物を作ろうと試みます。
僕たちは労働の対価がお金であるため、勘違いをしてしまいやすい。
ゲームやアニメの世界に没頭している人を見て、バーチャルなものは人をおかしくすると声高に叫ばれていますが、お金はどうでしょう。
お店に行き、お金を出せば何でも手に入る。
それが良い事だと言う人もいるし、そうなるために努力している人がいるのもわかるけど、考え方を変えればそれは仮想の世界とも言えるのです。
季節外れの野菜、外見だけ同じで材料の全く違う食品、本来ならばここで入手できるはずの無いような遠い国のものが棚に並び、場合によっては信じられないほど安価で手に入るこの世界は本当に現実ですか。
原油高騰...ある種のシステム障害です。
数年前にも株式分割というシステムのバグをついた攻撃により、システム障害が発生しましたね。
ゲームやアニメは、きちんとそれが仮想、空想の世界なのだと理解している人が見れば良いけど、それに没頭したら現実と仮想の区別がつかなくなってしまうという意見は至極尤もです。
では、お金社会はどうでしょう。
目の前にあるこの現実みたいな世界だって、実は仮想世界の一部だという考え方もできるのではないでしょうか。
その中で、それをそれだとしっかり認識しないで生活していれば、現実と仮想の区別がつかなくなってしまうのはゲームやアニメとどこに違いがあるのでしょう。
お金は自分のものではありません。
その事を念頭に置いてもう一度この世の中を見直してみると、おかしな事がいっぱい見えてきて、楽しくもあり、悲しくもあります。
もちろん、お金という存在を否定するつもりはありませんし、今の社会で生きるためには必要不可欠なものだとも思います。
ただ、それに依存しすぎることで様々な障害が発生しやすくなっているという気がしてなりません。
そろそろ物々交換という手段を見直してみる時期だったりしませんか?
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