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2007/05/03

方言もひとつの言語

今日、子供の友達が来て庭で遊んでいました。

そこで、子供が近所の友達と方言で話をしているのを聞いて、「あれ、もうこっちの言葉を覚えたの?」と問うと「うん。だって敦賀の言葉で話したらみんながわからないもん」だそうです。

僕は就職で県外に出てから、様々な地域へ行って様々な人と出会う機会がありましたが、いつも標準語で話しをしていました。それは、標準語で話をしていればどこの人と出会っても困る事が無いからだと思っていたからです。
でも、「言葉って何のために使うの?」と考えた時、どの地域に行っても標準語を使って話しをするというのは正しいことなのかなと考えてしまいます。

英語を覚えるのは何故か?
それは、英語圏の人と話しをするためです。話しがしたいと思った時、相手に自分の言葉を話す事を強要する人はいないでしょう。自分のために言葉を覚えてくれる人がいたら気持ちが良いものです。

そう考えると、地域の人と親しみを持って話しがしたいなら標準語で話すべきなのかなどと思いました。

僕の子供は生まれつき二カ国語に触れる環境だったので、言語に関する感覚が僕より発達しているのかもしれません。

僕は今でも標準語で話しています。
ですが、これからずっと地元で生活するなら言葉を戻すべきかもしれません。
相手が僕の言葉をわからないのではなくて、僕がみんなを理解するためにも。

「だって標準語で話したらみんながわからないもん。」

子供の口から出た何気ない言葉だとは思いますが、異常に深いような気がします。それは僕が直面している問題を解決する糸口になるかもしれません。

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コメント

切り口は違っても、本質的なことはマンマシンインターフェースの設計と同じことなのか、つまりそういうこと?
だとしたら、技術者として正しいスタンスはどちらかということは、おのずと分かるねぇ。

子供は大人の気付かないことに気付く。本当にすごい。
でも、そのことで気付かされる大人もナカナカだと思うよ。気付かない人のほうがはるかに多いだろうしね。

遅れたけど、新しい職場がんばって!

投稿: | 2007/05/05 11:00

なにか思っていた以上に大変みたいですね。
またお時間のある時にSkypeでも。

投稿: k2nd | 2007/05/05 13:09

最初にコメントして頂いた方のお名前がありませんが、多分この人だろうと予想してコメントをさせて頂きますが、外れていたら申し訳ありません。
確かに言葉はマンマシンインターフェースですね。とても便利なソフトがあっても、その使い方が難解で使われずに埋もれて行くようなものと、下手な言葉や親しみの無い言葉は人材を埋もれたままにしてしまうようなことかもしれません。
もう10数年間も使ってきた言葉を一日で帰る事はできそうにありませんが、早い時期でそうなるよう頑張ってみようと思います。
コメントありがとうございました。

k2ndさん、コメントありがとうございます。
大変です。
転職した先の仕事だけならそれに集中すれば良いのだろうと思うのですが、両親との同居や子供の入学、その他親類関係のことに加えて自分がこれまで手を出してきたことに対する責任とか...偉そうに色々と非難してきた言葉の多くが自分に降り掛かってくるのを感じます。今回の転職はある意味試練であって、好機なんだと思います。ですが、そう思えば思うほど自分の至らなさが目についてなりません。
10数年かけて培ってきた立場というのはなかなか居心地の良いものだったのだと、今更ながら痛感させられています。
先日は戻られた時に連絡しなくて申し訳なかったです。またお互い積もる話はSkypeや帰省された際にしたいなと思っています。

投稿: きむらしのぶ | 2007/05/06 07:14

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