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2007/01/26

改革の痛み

最近、様々なところで「改革」という言葉を目にします。そして、同時に様々なところで目にするのが「改革に伴う痛み」です。そこで、ふとこんなことを考えてみました。

 「改革による痛みとは、誰が感じるものなのか」

内部から組織を変えていこうという動きが「改革」で、外部から組織を変えていこうという動きが「革命」ですよね。僕は「改革」好きです。自分が飛び込んで行った先で、その組織をいかに良くしていくかということにとても興味があるし、これまで何度となくチャレンジしてきました。もちろん、成功した時もあれば失敗した時もあります。むしろ、失敗した時が多く、中には善かれと思って行った改革通りに変わったら前より悪くなってしまったこともありました。
そして、あまり多くはないですが、それらの経験から僕は「痛みを感じるべき人」というのは

 「改革が必要な人」
 「改革の実行者」

だと考えています。そして、周囲の人に痛みを与える「改革」は、「改革」とは呼べないか成功しないという思いがあります。その改革の真価を人に見せるために、人に痛みを強いる改革が支持を得られるはずが無い。

僕が改革をするに当たって、様々な調査や作業を行い、人がいないところでこつこつと実績を積み上げてきたと自信を持っている事例のみが成功してきたように思います。「以前、同じようなことをした経験があるから」と甘く考えて、やり方ばかりを人に指示していると、全然上手くいきません。毎回毎回、そのニーズに合った調整を行いながら改革を行う必要があるのはそんなに多くの説明をしなくてもわかってもらえるでしょう。

数年前から行政改革という言葉が本当に多くの場所で使われ、それに伴って国民が痛みを分かち合うなどということが言われていますが、これについて僕の経験から推察するに、暫くするとこの国民の痛みは水泡に帰して改革は失敗するような気がします。
この借金まみれの行政を改革するのは行政に携わる人間達なのにも関わらず、自分たちで改革できないから周りの人たちにも少し嫌な思いをしてもらうなどという甘い考えで改革が成功するはずが無い。改革を宣言した後でも、不祥事が相次ぐのは「自分たちは如何に楽をしながら、問題点を無くすか」という考えが念頭にあるとしか思えない。もし、国民が苦しみながらこれを変えていくとするならば、それは「改革」ではなくて、「革命」である。

「改革」において、志を持った人間が喘ぎ苦しみ、真価を見出して実践したときに人がそれについてくるのである。そして、その真価を感じた人が一丸となって実行するから結果が生まれる。自分では特に何もしないのに、他の人に苦労してもらって実行するようなものは改革どころか腐敗と言うのである。

しかし、そんな「改革」という言葉の持つ輝きに惹かれて、腐敗を止めようとしない国民達にも「改革」は必要なのかもしれない。

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