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2006年7月の26件の記事

2006/07/31

ライド・オン・Rails

オンライン書店ビーケーワン:ライド・オン・Rails最近始めたRuby on Railsにもう少し詳しく着手するために、本を購入する事にしました。

この本は、先日書店で見かけて気になっていたので、昨日書店で立ち読みをしながら内容を再確認して、今日ネットで注文しました。書店では定価で購入するだけだけど、ネットで購入すればポイントが付くから、最近こういう買い方をよくします。専門書は値段が高いから、基本的に送料は無料だし...本屋さんの経営って難しいんだろうなぁ。

閑話休題。

ネットで調べながら自宅にはRuby on Railsの環境を構築済みなので、本が来たら早速何か作ってみようと思っています。

とは言え、構築した環境はあまり完璧とは言えず、いくらかエラーが出るのを手作業で修正しながら使っているというのが実状です。使ってるサーバーのOSのバージョンが古いから、yumで取得できるソフトも必然とバージョンの古いものになってしまっています。そのため、ここ数日は必要なソフトのダウンロードとコンパイルの繰り返しで、どんどんソフトのバージョン管理が難しくなっているのが心配の種です。
他の人達はどういうふうにサーバーを管理してるのでしょうか。もう少し真面目にサーバー管理の勉強もしないとだめですね。

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2006/07/30

天国と地獄は同じ所

神様や閻魔様はその人の人生を見て、天国と地獄のどちらかへ送ると昔から聞いてきました。
小さい頃は、天国はどんな所で地獄はどんな所かとよく想像したものです。また、これらを映像にした作品もいくつか見てきました。

人は見ていなくても神様は見ている。

この言葉は小さい時から何度も繰り返し聞いてきたし、今でも色々な所で目にする事があります。では、どうやって神様は僕たちをいつでも監視し、僕たちの心の中までも見通して、天国か地獄へ振り分ける事ができるのでしょうか。

今日はこんなことについて想いを巡らせてみました。その思考の結果、僕が見つけた答えは、「彼らは僕たちを振り分けたりはしない」というものです。

それは何故か。
それは天国と地獄は同じ所だからというのはどうでしょう。
僕たちは死後、良い行いをしても悪い行いをしても同じところに行くのです。
僕が考えた死後の世界は、これまでの行いによって天国と感じる事もできれば、地獄と感じる事もできる所です。

しっかりとした心を得て死んだ人は、その死後の世界の中で天国を感じ、愚かなまま死んだ人は、死後の世界で地獄を感じるから、結局神様は振り分ける事無く、死者の行く先を振り分ける事ができるような場所ではないかという説明でわかってもらえるでしょうか。

例えば、物欲を満たす事で幸せを感じる人もいれば、お金や宝石ではなく人の喜ぶ姿を見る事で至福の想いを抱く人もいます。天国と地獄と呼び分けられる所は、こういう心の差が大きく影響するような世界だと思いました。
だからこそ、悪い事をしても心から改心すれば天国へ行くことができ、逆にどんなに良い事をしてきてもその心に妬みや憎悪を抱いていては天国へは行けないのです。

それはまた、この現世でもまた同じ事なのではないでしょうか。僕たちは僕たちの人生に於いて、それを天国にするのも地獄にするのもまた僕たちの想い次第なのかななどとも考えたりします。

僕の弟の名前は「悟」でした。28歳と言う短い生涯でしたが、その人生の最後には何かを悟り、今頃天国にいてその短い人生で十分に得られなかった幸せを堪能していることを願って止みません。
これから数年後、僕も弟と同じ所に行く事になるでしょう。その時、僕もそこを天国だと感じられるように、きちんと生きて行かないといけないですね。

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2006/07/29

単位認定試験 その2

0607291251今日は今学期最後の単位認定試験の日でした。
試験は午後からだったので、午前中はどうしようかなと考えていたら、家族みんなで試験会場の近くまで行こうということになって、車で行きました。

ということで、お昼ご飯は毎度おなじみのカレー屋さんでカレーバイキング。
いつも通りおいしかったのですが、今日はちょっと嬉しいニュースが飛び込んできました。なんと、このお店が今住んでいるところにもお店を出すそうです。嬉しいですね。これでわざわざ遠出をしなくてもナンとカレーが食べられます。しかも、8月には開店するとのことで、もうすぐではないですか。お待ちしておりますよ。

食事が終わってから試験会場へ行って、試験を受けました。科目は英語基礎Aというものだったのですが、これはいかんです。出題内容は全て教科書から抜粋しているのに、教科書の持ち込みが可なのです。
しかも出題数はたったの20問。ということで、落ちる人がいたら、その人はアルファベットが読めない人に違いないというほどの簡単さ。こんな単位認定試験では、「え、放送大学卒?(笑)」となっても仕方が無いと思わずにはいられません。それとも一般の私立大学もこんな感じなのかな?とは言え、先週の確立・統計の基礎は強烈に難しく、大学を卒業した友人に書いてある内容を話しても「え、知らない」という返事ばかり...この差は何なのでしょう。でも、そんなものかなと思ったりもしますけどね。

ということで、今学期は無事(まだ結果は出てないけど...)に終了しました。もう来学期の科目登録申請書も来ているので、早めに書いて提出しておこう。締め切りは8月9日(必着)です。

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2006/07/28

「やります」と言った責任

0607271531今から数年前、ある二人の知り合いがビジョンについて熱く語り合っていました。ここでは簡単のためAさんとBさんとします。その時、BさんはAさんのビジョンにとても共感し、またそれを実現する手伝いをしたいと思い、Aさんにそのお手伝いを誓いました。

そして、それから二人は自分のできることを色々と試し、「こうしよう」とか「ああしよう」と長い時間話をしたものです。二人とも自分の時間のほとんどを使って、新しい事を学び、試行錯誤しながら実現に向けて自分のできることを可能な限りやってきたつもりでした。

しかし、それから数年が経過し、なかなか出ない結果を見てビジョンを持っていたAさんは考えたようです。「Bさんにはそれを実現させるだけの実力は無い」と...

それは全くもって、Bさんのせい。
だって、Bさんの考え方が間違っていたから。

Bさんは、ある要求がある時、その要求を満たすだけの方策が見つからなかったら妥協点を探すというような対処法を取っていました。それがいつしか、本当は完全に実現できることなのにある程度の形になったらそれで良しとするという考え方に変わっていってしまったのです。

だからBさんが作るものは、何を見ても中途半端なのです。
そのうち、要求とのずれについて技術的な講釈を並べたてて理由を説明するのが、相手に納得させるためでありながら、自分を納得させる危険な言葉遊びになっていくのです。そんなことを繰り返していると要求の中にある本質が見えなくなっていき、絶対条件を満たさないものを作っていながらその事に気が付けなくなってしまいます。

言い訳はいけない。
自分がやると言ったら、常に、徹底的に、完全を求めて突き進まないといけない。

色々な状況があるかもしれない。人によっては「そればかりやっている訳ではないから」とか「そこまでやらなくてはならないほどもらっていない」とか言うこともあるかもしれない。でも、それは間違っている。そんな言い訳をするなら、初めから「やります」なんて言ってはいけない。

言ったのならやる、ただ一言です。

企業で働いていると、クオリティとコストの兼ね合いについてよく議論されることがありますが、その中で、お金にならない仕事なら中途半端なものを作っていいという考え方をする人をよく見かけます。でも、支払ったお金以上の仕事をする会社って良いですよね。こういう時、企業はきちんと実力を付けて、相手が支払う金額に対して妥当と考える結果より上の結果を常に出せるよう努力しなくてはならない。

僕は最近、中途半端なものを作るから仕事にならないというような気がしてなりません。もちろん、これが全てを物語っているとは言いませんが、こういう考え方の差は大きな結果の差を生むのだと思います。
きちんとした意識が無いと、自分が作っているものが中途半端なのかどうかも判断できないのではないでしょうか。

当たり前の事かもしれませんが、最近気が付きました。

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2006/07/27

アローダイアグラムforOOO rev 0.07

0607270513
先日、予告したアローダイアグラムforOOoの修正版を0.07として公開しました。
修正のためにマクロを見直してみると、色々おかしなことが判り、細かな修正を結構することになりました(表面上には何も現れませんが...)。

そして、動作確認をしながらスクリーンショットを撮り、その様子をユーザーズガイドとしても公開したので、これまでダウンロードをしたけど使い方がわからなかった人がいれば参照して頂けると助かります。また、読みづらいとか、判りづらいところなどがあれば、ご指摘頂ければ対応させて頂きたいと考えています。

下記ページにてダウンロードできます。
アローダイアグラムforOOo

操作方法を知りたい場合は、下記ページを参照下さい。
アローダイアグラムforOOoユーザーズガイド

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2006/07/26

Ubuntu with "Ruby on Rails"

0607262130ちょっと前に発表されたUbuntuの新版はサーバーのサポートが5年と長く、仕事用のサーバーにも使ってみることができそうな感じです。とは言え、今すぐにこれを使って何かをしたいという事が無かったため、これまで全く試すことはありませんでした。

そんな時、最近流行のRuby on Railsを自宅サーバーにインストールしようと思ってもなかなか上手くいかないので、Ubuntuでインストールや動作テストをしてみようということになり、空いているPCにUbuntuをインストールして、Ruby on Railsのインストールと動作確認を行いました。

結果から言うと、思ったより簡単にインストールができ、非常に簡単なスクリプトを試してみるとあっさりと動作してしまいました。

これは良いですね。去年から細々と使ってきたUbuntu Linuxですが、デスクトップのみならず、サーバー用途でもとても簡単に利用できるように感じました。もちろん、これだけで全てを評価することはできませんが、身近にこの情報をとても興味深く感じる人がいるような気がしています。

ちなみにこのインストールの手順をまとめたものを作りましたので、興味のある方は下記リンクを参照下さい。
"Ruby on Rails" on Ubuntu 6.06 LTS

Ubuntu Linuxは下記サイトからダウンロードができます。
Welcome - Ubuntu Linux

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2006/07/25

アローダイアグラムforOOoの不具合

06072523002月に公開してから全然手をつけていなかった「アローダイアグラムforOOo」ですが、このほど最遅結合点時刻の計算を間違える事が判明してしまいました。
クリティカルパスはきちんと表示しているのに、最遅結合点時刻が間違っているって...全然使い物になってないじゃないですか。

ということで、現在バージョンアップに向けた作業中です。とりあえず、計算間違いは無くなりましたが、あといくつかの動作確認をしてみてから公開させて頂きたいと考えています。
また、バージョンアップついでに一つのダイアグラムを作成する手順を追いながら使い方を説明するページも一緒に公開したいと思っています。

利用して頂いていた方にはご不便をおかけして申し訳ありませんでした。
今回ご指摘頂きました佐々木さんには感謝の言葉もありません。今後も、何かありましたらご連絡をお願い致します。

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2006/07/24

月刊 仕事とパソコン

0607242300HPのアクセスログを見ていたら、「仕事とパソコン」という雑誌のページからリンクされていました。

2006年8月号 リンク集

そこで、どういう雑誌なのかなと書店で探しても、Amazonで探しても見つからない...そこで、HPをよくよく見直してみると「全て読者への直販です」という文字があるではないですか。この出版社は、書店を介さずに全ての本を売っているようなのです。
パソコン初心者向けで一冊1,200円もする本を、どういう風に広告したらこの方式で売りさばけるんだろう。少なくとも、僕は今まで全くこの雑誌を目にする事はありませんでした。
会社概要を見ると、設立から16年経っているらしいのですが、ずっとこの手法なのでしょうか。それとも、僕が知らないだけで、こういう出版社は多いのかな?

この心意気に関心したので、100PV/日程度のブログですがここで紹介させてもらい、認知度向上に少しでも協力したいと思います。これからも頑張って下さい。

株式会社 研修出版
月刊 「仕事とパソコン」

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2006/07/23

単位認定試験 その1

今日は、「物理の世界('03)」と「確立・統計の基礎('05)」の単位認定試験でした。

受験した感想を書くと、僕の勉強不足の一言です。

物理に関しては、職業柄それほど難しくは無いように感じましたが、曖昧に覚えているだけの部分が多いということがよくわかりました。5択10問のうち、ぎりぎり6問できているのではないかという感じです。

確立・統計に関しては、心配したほど難しい問題ではありませんでしたが、いざテストになるとうまく実力がでないまま、あれよあれよという間に時間が過ぎていって、時間切れで終了してしまいました。

4ヶ月で200頁を越えるテキストから問題が出されるのは厳しいような気がしますが、テストはそれほど難しく作られてはいませんでした。勉強しているときは「これを一体どう理解したらいいんだ!!」と、本当に頭を悩ませましたが結局は地道な勉強を続けていれば、きちんと単位を取れるようになっているようです。

やっぱり勉強に近道は無いのかな。こつこつやっていくしかないですね。
これからも、「確立・統計の基礎」はきちんと勉強しておこうと思います。理解すれば僕にとって強力な武器になりそうな予感がビンビンしてきます。

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2006/07/22

僕たちの知っている神様は、実はみんな同じ

僕の実家は神道系の宗教を信仰しています。僕の妻はキリスト教を信仰しています。
僕は無宗教ですが、多少宗教に興味があり、いくつかの教えに目を通しています。

そこで、いくつか疑問がありました。

ある神様がいて、その神様を信じて言う事を聞いていないと天国に行けないという話があったとして、それと同じ神様を知る由の無い地域に住んでいる人達は天国には行けないのでしょうか。

また、ある神様を信じていながら悪いとされていることをし続ける人と、その神様を信じてはいないがその神様がしてはいけないと言う事はせず、その神様がするようにと言っている事をきちんとしている人では、どちらが天国へ行くのでしょうか。

それに対する答えとして、思いついたことを書きます。

まず、みんなが神様と呼んでいる人は、実はみんな同じものなのではないかということです。
どれを見ても、人殺しはだめだし、人のものを盗んでもだめと教えている。その教えの中には共通する部分も多く、一般的にやってはいけないだろうと言われることはだめだと書いてあるような気がします。

では、何が違うのか。
それは多分、神様の言葉を伝えた人が違うのでしょう。神様の言葉を伝える人が人間なので、周囲の状況や自分の損得勘定で本来伝えるべき言葉を全て伝えなかったり、いくらか付け加えたりしながら伝えるから、細かい内容が違ってきたのではないかと推測されます。

だから、どの地域にいても、その地域の神様を信じていればいいのです。自分の信じる神様を捨てて、他の神様を信じたとしても、それは結局同じものを信じているに過ぎないと言えます。

宗教で信じる事を無理強いしているような部分は、多分誰かが利権の確保か損得勘定で作ったのではないかと推測されます。人間は何かに陶酔すると、自分が勝手に作り出したものを陶酔している対象から受けたものだと勘違いする事がありますので、ある宗教内の権力者が勝手に勘違いしたものが、そのまま教えの中に反映されてしまうこともあるのではないでしょうか。
そういう事例は、意外と簡単に見つかるものです。

また、正しい事を伝えると偽る偽宗教指導者や偽信者がいます。こういう人達が、神様を信じると言いながら嘘の言葉を持ってその教えを汚して行くのです。一番簡単な例として、「右の頬をぶたれたら、左の頬を出しなさい」と教えている宗教の国が、「テロへの報復」を掲げて無駄な戦いを続けています。戦争が始まった当時、「十字軍だ!」と言っている牧師の話もいくつか聞きました。聖書には、世の中の終わりには偽者が増えると書いてあり、そういう人達はきちんと区別されて地獄へ堕ちて行くと記されています。

だから、神様を信じると言いながら悪い事をしている人はやっぱり地獄に堕ちるのでしょう。神様を信じていないと言っても、清く正しい日々を送っている人は天国に行くのです。

まとめると、下記になります。

僕たちが知っている神様がたくさんいるのは人間が区別しただけで、神様がいるとすれば、それはどの宗教でも同じものを指している。

神様を信じる、信じないということではなく、どれほど真面目に日々を送っているかが重要である。

そう考えると、宗教対立というのは虚しいですよね。結局、盲目的に何かを信じるが故に、誰かの利権のために人を殺め、信じている神様のためにしていると信じている事によって地獄へ堕ちるのです。

そんな事を考えてみた一日でした。

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2006/07/20

かなりテンパってます...

0607180736今週の日曜日が単位認定試験なのですが、「確立・統計の基礎」を全然理解できていない。
ただ、やっていれば何となく感じる所はあり、これは真面目に勉強すればそれなりに価値のあるもののような気がするので、これから何か利用できるような分野があるでしょう。

しかし、今回は勉強不足だったのは否めない事実なので、今回の単位認定試験は落としてしまって次回の再試験に臨むというのもありかなとかいう甘えた考えも頭をよぎったりします。

また、忙しくしていると色々とあるもので、上の娘が障子を破ったり、マクロの問い合わせが来たりと何故か普段よりやる事が多いような気もします。

やっぱり、やればやっただけの、やらなかったらやらなかっただけの結果がきちんと出るものですね。先日のTOEICについても同様で、ある課題に対してきちんと対応していなければ望む結果は得られないのだと、改めて実感しています。

...僕は普通の人で、天才じゃなかったんだ。最近、己惚れる事が多くてちょっと勘違いしていました。
さて、勉強、勉強。

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2006/07/19

超神ネイガー

0607191100先日、NHKを見ていたら特集で紹介されていました。
なんでも秋田の方で、地元の人たちが地元の人たちのために作っているヒーローで、秋田県内で公演をしている団体があるそうです。

すごく盛り上がっているようなので、みんな知っているのかな?

NHKの紹介では、昔夢破れた人たちが再び立ち上がって作ったというような説明をしていましたが、これがいいですよね。若い時に熱中したものがあるからこそできることがあるという良い実例だと思います。

高校生の頃、「人はオタクくらいが丁度良い。オタクじゃない人はつまらない。」と数人の知人に話ていました。今では「オタクではいかん」と思っているのですが、それは当時僕の周りにいたオタクと、最近のオタクが多少変わってきたためで、言いたかったことは「何かに熱中している人は何かをする力がある」ということでした。

スポーツでも音楽でも、絵でも何でもいいです。
こうして何かに熱中したことのある人の多くは、自分の喜びや幸せの形を持っているような気がします。だからこそ、人がしないことや人の思いつかないことができるのではないかと考えています。

僕の周りには夢を追う人が少ないばかりか、夢を探す人もなかなか見つけられません。多分、それは日本全国で同じような状況なのではないかと思われます。しかし、そんな中で夢を追い続けることができる人は逸材だとも言えます。今、夢を持ち、その夢を実現させるために頑張っている人は、そのうち必ず何かを得たり、何か達成できることがあると思います。それは今、自分が思い描いているゴールでは無いかもしれませんが、必ず何かがやってくるものです。

最近、色々追われる事が多くて、僕も特にこれと言ったことができない日々が続いていたので、この番組を見て、また頑張ろうという気になりました。とは言え、とりあえず今週末の単位認定試験をなんとかしないと...

気になる人は下記リンクへ
超神ネイガー

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2006/07/16

バットマン ビギンズ

いつものように、「いまさら...」レビューをします。今回は「バットマン ビギンズ」。別に見たいとも思っていなかったのですが、妻が借りて来たので見てみました。

一言で言うなら、物語が破綻しています。「バットマン」ならぬ、「バッドマン」です。

ちょっとネタばれになりますが1シーンを書きます。
ある家屋の中で数人に見守られる中、強盗をした人の首を切るように指示された主人公が悪い事をした人であっても殺すべきではないと殺すのをためらい、その直後に近くにあった爆薬に火をつけて家を爆破してしまいます。そして、その周囲にいた人の多くは死んでしまいます。
え?この主人公って何をためらっていたの?人を殺したために、殺される運命にあった人は助けて、その人を殺そうとした人は殺していいの?他にも、自分の仲間を救うために一般の人の家や車を破壊し続けます。終始、主役に設定された悪人が悪役に設定された相手と戦うだけの物語になっているように感じました。

これが、彼らの考えるヒーローなのか。こんな考え方の人達が世界で一番力を持っているなんて...しかも、その国へお金のために優秀な人材がどんどん流入していくなんて...世界が荒れるわけです。

全然深みがなく、何の面白みも無い作品のように感じられました。

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2006/07/15

ルールを変える

僕は中学生3年生の時に引っ越しのため、転校をしました。転校先の中学校では校則で「男子の髪の長さは3mm以内」と決められていて、納得できずに反抗を続けたらルールが変わったという事を以前の記事で書きました。

その時はそれでとても満足していましたが、これはあまり良い結果を生みませんでした。

あれから数年が経ち、その学校はとても荒れているそうです。そして、その荒れている原因としてささやかれているのが「十数年前、悪い転校生が来て勝手に学校の校則を変えてしまって、それ以来生徒が悪くなった」というものだそうです。
...それって、僕かい?

どうやらその学校を悪くしたのは「僕」という話になっているらしいのです。もちろん僕に言わせてもらえば、校則の内容一つ生徒に納得させられないような教師しかいない学校が悪いと言えなくもないのですが、そんな教師達が生徒を制御するためにルールを利用していたと考えるようにもなってきました。一見無関係に思われるものが微妙に関係して、バランスを保っていたのかもしれないとも考えられます。
僕個人の価値観で、校則を変えると言うのは悪い事だったかもしれません。

ただ、「校則を変えなかったら荒れなかった」というのにも疑問を感じないことはないんですよ。こんな学校なんだから、数年後には荒れて、校則があろうと無かろうとみんな髪を伸ばしていたのではないかとも考えられます。

ここで考えたいのは、ルールを変えるというのには目的の成否に直接関わらないリスクがあるということです。

僕が校則を変えた(当時の担任は僕が変えたんじゃないと言っていたけど...)ことで、僕の目的は達成できたけど、その後の経過に関しても因果関係を指摘しやすいような状況を作り出してしまいました。僕に言わせれば、「髪を伸ばせるようになっただけで荒れるような子供を育てた親が悪い」のですが、そういう子供を育てる親が自分の責任を考える前に、目の前にあるもっともらしい理由に飛びつくのは極めて自然な事でしょう。

ルールを変えるには、きちんとした根回しが必要なんでしょうね。

僕は、また大きな組織のルールを変えたいと考えています。中学時代のような安易な気持ちで行動しないよう気をつけないといけないですよね。組織が大きくなれば、それに付随するものも多いし、失敗したときの犠牲も量り知れない。

当たり前の事かもしれないけど、「綿密で周到な計画にきちんとした根回し」がキーワードですよね。

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2006/07/14

TOEICの結果

0607140703去年、TOEICを受験して580点だったということをこのブログに書きました。そして、先日東京で行われた英語の研修の後にもTOEICのテストを受けていて、その結果が数日前に届きました。

結論から書くと、570点で10点ほど下がってました。やっぱり20問以上残したまま解答用紙を提出したのが痛かったようです。

今度は頑張ろう。

関係ないけど庭のミニトマトがどんどん赤くなってきていて、そろそろ食卓を賑やかにしてくれそうです。

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2006/07/13

秘密結社 鷹の爪

0607131903YouTubeで数話が公開されているので、見てみたらとても面白かったので紹介します。

秘密結社 鷹の爪

1,5,7話が公開されていて、別の作品の「古墳ギャルのコフィー」も同じように公開されています。

DVD買ってもいいかも...

蛙男商会

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体調不良継続中

0607131507一昨日の朝から熱っぽく、体がだるかったので寝ていたらあれよあれよと言う間に38度を超す高熱になってしまいました。あまりにつらいので、病院へ行ったのですが感染症の確認や血液検査を行っても原因がわからず、とりあえず点滴をして帰りました。
家に帰ってからも全然熱は下がらず、39度を越え始めたので本当に久しぶりに座薬を使いました。

昨日の朝には、多少楽になったので良い感じだなと思って熱を測ると38度弱...全然下がってない。
そこで、またまた病院へ行って診察をしてもらうのですが、原因不明のまま。先日の気管支炎の関係かもしれないと、レントゲンを撮ってもらったのですが、気管支炎はずいぶん回復している様子(完治はしてませんでしたけど...)で、またまた原因不明のまま点滴をして帰りました。

今日になって、やっと熱も37度近辺に落ち着き、うろちょろできるようになってきました。

年のせいなのか、何かヤバイ病気にかかっているのかわかりませんが、普段病院に行かない僕が今月に入って既に3回も病院へ行っているのはちょっと心配です。早く治ってね、僕。

ここ数日、メンテナンスのためにココログが使えなかったのですが、ちょうど倒れていて使わなかったのでタイミングが良かったです。@niftyさん、次もそういうタイミングでお願いします。

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2006/07/11

主観と客観

僕も含めて、最近「主観」と「客観」の違いがわからない人がとても多いように感じられます。
そこで、なぜそうなったのかとこれをどう扱えば良いかということを少し考えてみたので書きます。

まず、最近のメディアは主観に飾りを付けて、客観の如く視聴者に見せる事が多いです。これは昔からそうだったのかもしれませんが、色々と講釈を並べて、相手に答えとおぼしきものを与えてしまう。
人間の多くは、目の前に答えと思われるものを見つけるとそこで思考が停止してしまいます。そのため、メディアが提示した「客観のように聞こえる主観」を客観的な自分の考えだと勘違いしたまま、それを鵜呑みにしてしまうのです。

主観は主観を生みます。主観を客観だと信じるようになると、客観的なものの見方がどんどん難しくなります。そして、最後には周りにある危険にもどんどん気が付かなくなっていくのです。
そして、人間は取り返しのつかない過ちを、過ちだと知らないままやってしまうのです。

主観的な考え方は多くの場合作られたものです。人は人を操作する時に信じやすい主観を提供するのが一番簡単で、ある程度間違った思想を植え付ける事ができれば、後は勝手に行動してくれるようになるのです。
しかし、この方法は最初はうまくいくのですが、ある線を越えると歯止めが利かなくなりとても危険です。にも関わらず、昨今のメディアはこの手法を頻繁に利用し、利益を得ているのです。

 主観は原動力
 客観は判断力

という風に考えると、原動力しかなくて判断をしない人は危険だというのは簡単にわかりますよね。

主観と客観の区別をするためには、知識が必要です。正しい知識を得るためには、思考の訓練が必要です。そして、思考の訓練には本が一番です。情報源としてテレビもありますが、本を読まないでテレビを見ると、そこから得られる情報量の多さから人は思考を止めてしまいます。

今の日本人は夢を失っています。それは主観を客観だと信じて成長したため、大きくなってから出会う矛盾に対処できず、夢が何かすらわからなくなってしまうのです。極端な例ですが、8月15日には戦争は悪い事だと言いながら、近隣の危険な国は戦争をしてつぶしてしまえと言っているのをどちらが正しいと判断しますか?

またまたとりとめの無い話になりましたが、まとめると。
自分の道を探す時、主観ではなく客観を重視しなくてはいけない。
自分の道が見つかった時、客観ではなく主観を重視しなくてはいけない。

人の主観に乗っかって生きていても、それは人形と同じです。客観は誰にとっても同じなので、少なくとも最初はこっちに乗って下さい。

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2006/07/10

結婚しなくてはいけない理由

0606141210先日、「なぜ結婚しなくてはいけないのかわからない」と言う人とお話をさせていただきました。
その方は、きちんと仕事を持っていて、生活態度にも何の問題も無い一市民ですが、一人でいても何の不自由も無いので結婚しなくてはならない理由がわらからないというのです。そして、結婚しなくてはならない理由があるなら知りたいらしいのです。

そこで、僕の考える結婚しなくていけない理由を書いてみます。

まず、相手の考えている「一人でいても何の不自由も無い」という点について考えてみます。人は本当に一人で生きているのでしょうか。確かにお金があれば欲しい物が手に入り、便利な道具が増えて来て家事に苦労する事も減ってきました。
そこで質問です。これは本当に一人で生きているということでしょうか。電気も水もガスもお金を払っていると勝手に使えるようになるものですか?...それは違います。誰かがそのために働いているからそれが使えるのです。人が一人で生きていると言えるのは、山奥や誰もいない無人島にでも行って、他人と一切の交わりを持たずに生きている場合のみです。

個人でいる前に、僕たちは集団の中の一員なのです。会話やスキンシップをしなくても、お金を介して誰かに助けられ、誰かのおかげで生きているのです。勘違いしてはいけない。どんなに裕福でも、どれほどの力を持っていても、そのお金や力を行使する先があるから生活できるのです。

つまり、僕たちは人と交わり、人の中で人に助けられながら生活している以上、この社会では人も財産です。

僕たちは既に他の人が育んだ社会の中で、人が築いた環境から多くのものをもらいながら生活しているのです。もちろん、仕事や奉仕活動などでこれらに恩返しすることもできます。そして、結婚して子供を育てるというのもまた社会への恩返しになるのではないかと思います。
社会への恩返しについて、「ここまでやっていれば十分」などということはありません。この社会が無くなれば、まずほとんどの人は生活が出来なくなります。人はどれほどの恩返しをしても、恩返ししきれないのです。

つまり、人が結婚して子供を作るというのは、僕たちが人から何かしてもらった時にお礼を言うのと同じような極めて自然なことなのです。もし、生活に余裕がある人が「結婚する理由がないからしない」などと言うのは、とても失礼なことなのかもしれません。
良い相手を捜し、良い子供を育てて世に送り出すことは、仕事をすることや奉仕と同じくらい大切なことなのです。人には色々な理由があって、全てを行う事はできないかもしれませんが、自分にできる恩返しがあればするのが責任ではないかと思います。

結婚する理由として、「結婚は社会への恩返し」という考え方はどうですか?

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2006/07/09

ビジョンとは

先日、茨城への出張の際、4年ぶりに出向元の会社に足を運んでみました。
十年一昔と言いますが、4年が経過すると会社にいる人も大きく様変わりしていて、知り合いはほとんどいませんでした。そのため、15時には会社に着いたのですが、16時には手持ちぶたさにうろうろしているだけでした...にも関わらず、職場の雰囲気は全然変わっていないという不自然さだけが目に付きました。

帰り際に、部長へ明日の予定を伝えてそのまま戻る旨の挨拶をしようとすると、そこから暫く雑談が始まり、そのまま駅前の「つぼ八」へ本部長補佐を加えた3人で飲みに行く事になりました。
そこで、ビジョンについての話をしたので少し書いてみます。

まず、言葉を飾ってもしかたが無いので、「会社には失望している。ビジョンを持った従業員に会った事が無い」と言わせてもらいました。そこで、部長から帰って来た言葉は「俺にはある」とのこと。確かに部長の話を聞いているとビジョンと呼べるものを持っているような印象を受けました。ですが、僕が部長の言葉から感じたのはビジョンより小さな部所の目的や目標です。今、組織が抱えている問題や達成しなくてはいけない課題を主に考えているため、その組織に拘泥された状態で考えられたビジョンは、ある意味で手段や目標を実現するために考えられた理想的なプロセスに過ぎません。
ビジョンとはもっともっと高尚で完成されていなくてはいけいないような気がします。

次に、部長の反省として彼の持つビジョンを従業員に周知してないというのがありました。確かに、ある程度大きな企業でサラリーマン根性丸出しの従業員達にビジョンを伝えるのは難しいかもしれません。こういった反省の中で、部長の持つ危機意識とそれに対する検討内容のいくつかは僕の考えに合致するものがあり、会社に失望していた僕には一筋の陽光にも感じられました。

僕は会社の立場では最下層に位置する身分に過ぎません。そんな僕の口から出る言葉をとても腹立たしいと感じられたことでしょう。ですが、数年前に話をした時は「生意気だ」とか「黙って言う事を聞いていればいい」という事を言っていた人が、「俺も日々成長している」と言い、「お前も成長した」と素直に話をされていたのには驚きました。出向させて離れていても大切な事に気が付いているという言い方もされましたが、基本的に僕の言っている事は4年前に言っていた事とそれほど変わってはいません。しかし、4年前には見向きもしなかった言葉に耳を傾けてもらえるようになったのは多少良い方向への変化に感じられました。

ただ、僕をただのITマニアだと考えている節があるのは否めず、「直接員として本職をするのと、間接員としてサポートする側のどちらで働きたいのか?」という質問をしてくるのは悲しかった。僕が言っているのは、直接員や間接員とかいう今の仕事を前提にしたものではなく、新しいサービスで仕事を生み出そうということなのに...
時代の流れの中で、僕たちがやってきた仕事は技術者から人足へ変わろうとしている。そんな仕事を続けていたら、同じ技術力を持っている安い業者に取って代わられるだけだというのはなかなか伝わらないみたい。
このブログと相反する事を言うようだけど、結局民衆の愚かさを利用した仕事のしかたというのが一番強いのです。「おんぶにだっこ」の状態を作り出し、みんなに安心感を抱かせながら、自らは絶え間なく向上を続けるという構造を作るための施策なのに、これはわかってもらえてないみたい。

僕は会社にいる人の多くに疎まれています。部長はそのうちの何人からか評判を聞いて判断し、僕を扱っていたようですが、僕の話を聞いたのはこれが初めてです。一言言わせてもらうなら、なぜ僕の話を同じように聞かなかったのかということです。出向先で大きく成長したと褒めてもらいましたが、僕が言っていることは出向前と今とそれほど変わっていません。今回話をした内容で、「成長した」と評価するのは僕を見ていない証拠であり、ある意味で侮辱されているようにも感じます。
この事は、讒言が幅を利かせているような会社なのだという暗示にも感じられました。

もっとしっかりとしたビジョンを持ってもらいたいものです。

長くなりましたが、そろそろまとめます。
多くの人が目の前の目標や課題を勘違いしてビジョンと呼んでいるようです。ですが、ビジョンと呼んでいるものを見直し、もう少し高く設定してみて下さい。すると、今ビジョンと呼んでいるものがただの目標に過ぎないことに気が付きます。個人の目標が組織のビジョンになるはずがありません。そして、組織の目標もまたビジョンには小さすぎるのです。
ビジョンと呼ぶなら、それは普遍的で、世に求められるような形であるべきなのです。

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2006/07/08

出張帰りの電車の中で

06070819466日から出張で茨城へ行っていて、今日帰ってきました。
出張先ではインターネットにアクセスできなかったので、メールからブログまで全く確認する事ができず、いくらかご迷惑をおかけしてしまったりもしました。出先であったいくつかの出来事については今後書いていくとして、今日は帰りの電車で出会ったある女子高生について書いてみます。

常磐線の常陸多賀駅から8:53発の上野行きスーパー日立に乗りました。車内はいくらか込み合っていたので、自由席で既に乗っていた彼女の隣に座らせてもらう事になりました。たわいのない会話で始まって、いくらか受け答えしていると「きちんと教育された、立派なお子さんだなぁ」と関心してしまいました。

なんでもいわき市の高校に通っていて、週末にはダンスのレッスンのために渋谷へ行っているとのこと。
話の内容は家族構成や電車に乗っている理由などでしたが、どの話題の中にあってもきちんと相手の話を聞いて、自分の意見を差し障りの無いように回答してくるのです。逆に、自分の事を語りすぎる僕の方が反省させれてしまいました。

その時思ったのが、「ご両親は立派な人だな」ということです。もちろん話をしている彼女は知っていても、その両親には会った事はありません。ですが、子を通して親を見ているような気がしてなりませんでした。
こんな立派な女の子を育てた両親はさぞかし立派な人なのではないかと考えずにはいられませんでした。
もちろん、そういう保証はどこにもありませんが、僕も含めてそういう考え方をする人は多いのではないでしょうか。

やっぱり、子供を育てる事は親を育てる事なんだ。いままでも、今も、これからも、僕は僕の知らない人から子供を通して何かしらの評価をされているということをきちんと肝に銘じて、子供にも恥ずかしい想いをさせず、僕も恥ずかしい想いをしないよう、きちんと育てていかないといけないなと思いました。

また、韓国に興味があるらしく、韓国語の勉強もしているとのことで、僕の娘達は6歳と4歳で既に日本語と韓国語のバイリンガルだよと言ったらとてもうらやましがっていました。ただ隣に座っただけなのに、色々と奇遇な一致があるもので、なかなか面白かったです。上野で別れる時には、「一期一会」という言葉を思い出さずにはいられませんでした。

たった1時間少々の会話でしたが、とても有意義で、勉強になりました。
名前も聞かなかったのですが、ダンスの勉強頑張って下さい。また、今日は弟さんの誕生日らしいので、僕からもお祝いの言葉を贈りたいと思います。「お誕生日おめでとう」。

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2006/07/05

据え膳食うのは男の恥

0607041212結婚してから、もうじき7年になります。
本当に不思議なもので、結婚するまで女性から声をかけられるようなことも、僕が声をかけたとしてもそこからお付き合いが始まるようなことはほとんどありませんでしたが、結婚する数ヶ月前からしばしば声をかけられるようになり、結婚後に出会った人と気楽に遊びに行く事ができるようになったりしています。

正直なところ、相手がどう思っているのかはわからないのですが、僕は多くの人と楽しい時間を過ごせることを喜んでいます。多くの人と話をして、新しい事に出会い、知らなかった事を知る事ができるのは喜び以外の何物でもありません。これについて、相手が男であろうと女であろうと変わりはない事だと思っています。

ですが、世間では成人男性と成人女性が食事に行くと二人の関係を邪推することが多いようです。ちょっと頭のおかしい人は、僕がお義母さんと一緒に暮らしている事でさえ変な目で見たりします。

世の中広いので、確かに魅力的な女性はいますよね。もし、妻と出会う前に彼女と出会っていれば...というような想像をしたくなるほど楽しい時を過ごせる人とも何人か出会いました。まるで久保田利伸の「Missing you」やB'zの「NEVER LET YOU GO」の歌詞を彷彿とさせる人ともつい最近出会いました。

しかし、「据え膳食わぬは男の恥」という言葉はありますが、これは未婚者のみについての話で、既婚者は「据え膳食うのは男の恥」だなと思います。子供がいるのに浮気をする人ってどんな感じなんだろう。例えその人の奥さんと上手くいってなかったり、わかり合えていないとしても、その人を選んだ自分の責任を放棄し、他の人を見つけたからと言ってそちらに足を向けるのは無責任で恥知らずのような気がします。

唐突な話の書き方をしてしまいましたが、年齢のせいか身の回りでそういう話を聞く事も増えて来て、実際に知り合いにもそういう人がいることがわかったりして、驚いてしまいました。

そこで、そういう浮気をするような男性に魅力を感じる女性に言いたい。奪える男は、奪われやすい男なのだと。それはまた、女性についても同じかもしれない。一時的な快楽や外観に惑わされず、きちんと魅力的なパートナーを捜した方がいいですよ。メディアが「彼氏(彼女)がいない」というのを恥ずかしいことのように流布していますが、もっと恥ずかしいのは適当に相手を選んで、他にいい人ができたらぽんぽんそちらに乗り換える無責任さです。メディアがいい加減な情報を流布しているせいで、世間が浮気に寛容になっているような気がしてなりません。

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2006/07/04

Finding Naverland

先日、近所のレンタルビデオ屋さんでDVDのレンタルが5枚で1000円になっていたので妻と一緒に何か面白いものがないか探しに行きました。僕のお目当ては「ウィンブルドン」だったのですが、残念ながらありませんでした。

そこで、他に借りたいものを探していて何気なく選んだのがこの作品。お互い「見てみようかな」くらいの気持ちだったのですが、二人にとってこれが大当たり。制作者の意図通りに解釈しているかどうかはわかりませんが、とても深い感じがしました。

これはピーターパンの原作者がピーターパンを生み出すまでの出来事を描いた作品ですが、とても多くのことを想像させてくれます。赤毛のアンでも言われていますが、想像力が無いというのはとてもつまらないことです。

よく物理や数学が得意な人は理論的で想像力が足りないと言われますが、僕はこれは間違っているような気がしてなりません。人は理論的になればなるほど想像力が豊かになるようで、一つの理論を習得する度に新しい発想が生まれてくるのです。もし豊かな想像力を持たないのに物理や数学の点数が高い人は、想像力の欠如した記憶屋さんだという証明なのです。

閑話休題。
途中も結末も悲しいだけのヒューマンドラマだと感じることもできますが、普遍的なテーマが随所に描写されていて、改めて自分のこれまでの生活や今の生き方を見直す機会になりました。
妻と二人で一番関心したのは、なぜフック船長が時計を食べたワニに追われているかの答えを聞いた時でした。情けない事に、これまで全然わからなかったし、わかろうともしていませんでしたが、これが根底のテーマになってもいいくらい重要なポイントだったとわかった時、偉そうに言っても僕自信が「想像力の欠如した人間」なのだと痛感させられました。

恋愛もテーマに含まれているにも関わらず、昨今の映画にありがちな卑猥なシーンが一切無かったというのも好感が持てます。

数年後にもう一度見て、その時に自分がどう感じるか知りたいと思わせられる作品でした。
まだ見ていない人がいれば、見てみる事をお勧めします。

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2006/07/03

言葉の圧縮

「ドラゴンクエスト」を「ドラゴンクエスト」と呼ぶ人は少なく、大抵の人は「ドラクエ」と呼びます。
「有給休暇」を「有給休暇」と呼ぶ人は少なく、大抵の人は「有休(有給?)」と呼びます。

最近、日本語が乱れているというのはよく耳にしますが、その多くはこれらと同じような言葉の圧縮に起因するような気がしてきます。元の意味がわからないほど圧縮して、圧縮したものを更に圧縮するため、用法が間違っているような感じになってしまう。そして、子供達はその圧縮した言葉しか知らないため、更にこれを圧縮していく。
そんな事を繰り返していくうちに、日本語はどんどん短くなって、冗長性という無駄の中にある美しさを失っていくのではないでしょうか。

「何気ないように見えて実は...」を「何気ないように見えて実は...」と言う人がどんどん減ってきて、「何気に...」と言う人がどんどん増えています。

一昔前にギャル語なる言葉が巷で使われるようになった時、その言葉がメディアで紹介されるとエロ親父共がこぞって我れ先にとこの言葉を覚えて、飲み会やスナックで使っている場面をよく見かけました。

若い人の言葉が乱れていると言うけれど、日本語の美しい言葉を壊しているのは実は大人なのです。「何気に...」という言葉をメディアで発信し、漫画や小説で一般に流布している子供がいるなら教えてもらいたい。
大人がその意味をわからずに子供へ継承している事があまりに多すぎます。若者の言葉が乱れていると言って、若者を非難する大人がいれば、そいつが言葉を乱していると言っても過言ではないでしょう。

言葉は変わるものです。僕たちは100年前と同じ言葉を話してはいませんし、100年後に同じ言葉が話されているとは思えません。
しかし、言葉は文化です。その変わり方を見ていると、文化が良い形で継承されているようには見えず、刹那的に快楽を求めるような薄く、陳腐なものになってくような気がしてなりません。

言葉を圧縮するのはそれほど問題だとは思いませんが、不可逆な圧縮は止めてもらいたいものです。画像の編集作業にJPEGを使う人っていますか?画像を修正してはJPEGで保存するというような作業を繰り返していては、せっかくの画像が完成時にはどうなっているのでしょう。
僕たちの文化がブロックノイズによって汚くなる前に、きちんとした方式で保存するようにしないといけないですよね。

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2006/07/02

オーケストラ アンサンブル つるが 定期演奏会

0607021453会社の机の上にちらしが置いてあったので、娘を連れて聞きに行きました。

どんな人がいるのか全然知らないで行ったのですが、よく見てみると知り合いが2人もいて、しかも一人はバイオリンでソロまでこなしていたりして、演奏だけではなく色々と楽しめました。それに、小さな地域の団体にしてはしっかりとした演奏で、とても良かったです。

ただ、ヴィヴァルディの「四季」から「夏」を演奏されていましたが、これは苦しかったです。中学生の頃に聞いてから四季が大好きで、高校を卒業するまで絵を書いていたり、勉強したりする時にはいつも聞いていたせいか、「うーん、うーん」と感じるところがありました。聞いていて思うのですが、なかなか難しい曲なのでしょう。

指揮者の方が心配していたと話している「アイネクライネ・ナハト・ムジーク」が僕にはとても心地良く聞こえました。演奏している方も「四季」より楽しんで演奏しているように見えましたが、どうでしょう?
その後はコーラスや有名どころの演奏が続いて、とても心地良い時間を過ごす事ができました。

関係ないけど、最後が「マイフェアレディー」のテーマ曲で、「ON THE WAY COMEDY 道草」のオープニングと重なって西村雅彦の声が頭から離れませんでした...

毎年やってるみたいだから、来年もまた聞きに行きたいと思います。
演奏なさった皆さん、お疲れさまです。楽しい時間をありがとうございました。

オーケストラ アンサンブル つるが

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2006/07/01

末娘の誕生日

0507012200今日は一番下の娘の誕生日でした。子供の誕生日と言うのは1年という時間の短かさを痛感させられる一番大きな行事だと思います。

生まれたばかりの時は全くの無力で、ただ泣くか寝るかのどちらかしかできなかったのに、今ではつかまり立ちをして食卓の上にあるものを手に入れようと虎視眈々と機会をうかがっていたり、悪い事をして怒られるとふてくされたように手を動かしながら「うわ!うわ!」と文句を言ってきます。

1歳の誕生日には色々なことをする風習があります。上の子と2番目の子の時は細かいことがわからないので実家から親に来てもらったり、実家に行ったりしながらお祝いをしてきましたが、下の子は僕の親抜きでやることになりました。そうなると、うちでは韓国と日本の文化をなるべく融合させながらやっていくよう工夫が必要になってきます...が、僕が料理を作れないので、ほとんど韓国寄りになってしまいました。何日も前から妻とお義母さんが料理の準備をしていて、本場の韓国でお祝いに出すための本物の料理ができあがり、改めて二人の料理の腕に関心させられました。

お昼には韓国人だけを招待して、娘を祝ってもらいました。韓国人は感受性の豊かな国民だということを証明するかのように、みんな僕の娘を自分の娘のように祝ってくれて、とてもあたたかい感じがしました。招待した人の一人に先月から仕事の関係で日本に6ヶ月住むことになった方がいて、「日本に来て初めて本当の韓国料理が食べれた」ととても喜んでおられ、招待したほうも嬉しくなってきました。
イベントの一つにテーブルの上にいくつかの物を並べ、それを子供に選ばせてその子の将来を占うものがあります。これは日本でも韓国でもするようなので、それをやってみました。並べる物が日韓で多少違うようなのですが、僕以外全員韓国人なので必然的に韓国に従うことになります。並べた物は「米」「鉛筆」「お金」「電卓(本当はそろばん)」「糸」です。選んだ順番は「糸」「米」...と選んだところで娘が興味を無くして終わってしまいました。

夕方は僕と妻の共通の知人を招いて、食事をしました。中国人2人、韓国人1人、日本人1人で、アジアの3つの国の人が混じった夕食になりました。
夕食の前に、下の娘に「一升もち」を背負わせました。これは日本の風習で、子供が健康に育つようにという願いを込めた行事です。上の2人の時はこれが大嫌いで、餅を背負わせると大泣きしていたのですが、今日の主役は餅を背負いながら立ち上がって、わずかに笑みを浮かべていました。...健康過ぎる子になりそうで不安になったりもします。
それからわいわいと話をしながら時間が過ぎていき、あっと言う間に今日が終わってしまいました。

0605000000最近は色々な国の間で軋轢が生じ、亀裂が大きくなっているような感じがします。日本人にも「この人はこの国の人だから嫌だ」とかいう馬鹿な偏見を持っている人が増えて来ているような雰囲気があり、身の回りにいる人と話をしたり、Webサイトを見て回っていると愚かな発言に出会う機会が多くなってきました。
こうして、色々な国の人に祝福してもらった娘には各国の歴史と文化を理解し、どの国の人も個人としてきちんと尊重できるような人になってもらいたいと願っています。
人を尊敬できない人は人に尊敬されることは無く、他国の言葉を話せなくても心から相手を尊敬することを実践できていれば気持ちは通じるものだと思います。心の無い人はどの国の言葉を話せようと、どれほど多くの言語を話せようとも心が無いことに変わりはありません。間違った国際教育をしている日本に於いて、将来各国の人々との架け橋になれるような人物になってもらいたいですね。

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