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2006/05/23

乳歯を抜く娘から学んだ事

先日、娘の下の前歯の乳歯が抜けました。

ちょっとぐらぐらしていた時に糸で引っ張ったりしたのですが、娘が痛がる姿をみているとなかなか力を込められず、ついつい中途半端なことをしてしまい余計に痛かったみたい。目にいっぱい涙を溜めながら「もう嫌だ」と言われると、それ以上手を出す事ができなくなってしまいます。

そこで、一計を案じてみました。
実は僕の下の歯は3本足りません。1本は歯医者で乳歯と間違えられて虫歯の治療時に抜き去られてしまったためで、残りの2本は乳歯を適切に抜かず放置していたため、上に伸びないで口の内側に向いて生えているためです。そこで、後者について多少のフィクションを交えながら、乳歯を抜く事の大切さを説いたら、自分で抜くと言い始めて、見事抜く事ができました。「お父さん。私、自分で抜いたよ!」と言いながら、はしゃいでいる娘の顔を思い出すだけで僕まで嬉しくなってきます。

その後、「雀の歯と代えてくれ!」と言いながら屋根に向かって乳歯を放り投げて、簡単な儀式の終了です。
僕もかすかな記憶を思い出して、懐かしい想いでいっぱいになりました。

こうして子供を見ていると、人生にはいくつか山や谷があるけれど、それらを克服する喜びを一つ一つ噛み締めながら人は大きくなるのだということを再認識させられます。そして、その山と谷はいつまでも目の前にあり、僕たち大人もまたそれらをいつも克服しなくてはなりません。しかし、いつの間にかそれらの山や谷を越える喜びを忘れて、苦しみだけを感じるようになってくるのかもしれません。僕の周りにもそういう人が多くいます。
そういう意味で、小さな事でも喜びを感じることができるというのはある種の能力と言えるのではないかと思ったりします。

大きな事は小さな事の積み重ねによって成し遂げられることが多いです。小さな事を達成する度に喜びを感じ、毎日を楽しみながら生活する人が、大きな事を達成できるとも考えられます。
苦労や苦しみが人を育てるのではなく、その苦しみを克服した喜びが人を育てるのではないでしょうか。

さて、僕自身も苦しい苦しいと騒ぐ毎日ですが、ちょっと考え方を変えてみます。「昨日はできなかったことが、今日はできるようになった」と言えるような事を一つでも見つけて、それを喜び、糧にしながら毎日を過ごしてみようと思います。

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コメント

「雀の歯と代えてくれ!」と言って投げた歯は、産まれて数ヵ月後に一番最初に見つけた歯と同じでしたか??「うちの子に歯が出てきた!」と感動し、下の前歯二本の顔が妙に愛くるしく・・・そんな歯が抜けてしまうのは、当たり前だけど、ちょっぴり寂しい気がします。どんどん大人になっていってしまうようで・・・ならないと困るけどね!

投稿: tmmt | 2006/05/23 10:10

tmmtさん、コメントありがとうございます。
うーん、ちょっとどの歯だったか覚えてないですね。間違ったら何かあるんでしたっけ?
大きくなる子供に寂しさを覚える事もありますが、やっぱり成長を見るのは嬉しく感じます。
最近、小さな子供が犠牲になる事件が多いから、毎日不安が消えませんが、世の中もどんどん良くなっていくといいですよね...

投稿: きむらしのぶ | 2006/05/23 17:47

間違えても何もありません。ただ、私にとっては感動の歯だったので・・・その歯が抜けるのは寂しいなぁと思いまして・・・それだけです!

投稿: tmmt | 2006/05/26 14:24

余談ですけど、先日娘が「お父さん、雀に歯はないよ」と言ってきました。確かに...

投稿: きむらしのぶ | 2006/06/01 05:13

余談ですけど、私の育った町では「雀の歯と代えてくれ!」とは言わず、下の歯が抜けたら上に向かって「丈夫な歯がはえてきてぇ~」などのお願いをし、上の歯が抜けたら下に向かって投げる?落としてお願いしてました。はえて来る方向に投げることに意味があったようです。きっと地域によって色々あるんでしょうね。

投稿: tmmt | 2006/06/01 15:10

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