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2006/04/09

不安と原因

人は何か心配事があると小さな事でも不安を感じるようになるみたい。
そして、その不安に襲われると余計な事ばかりを考えて、いらない事に想いを巡らせて心配事の原因から離れていき、心配事から遠ざかることで、不安だけを大きく感じるようになる。不安によるストレスが過度に高まると、今度は原因を見つけようとしていろいろといろいろな事を疑い始め、最後には関係ない事を不安の原因だと思い込む。
自分はそれが原因だと思い込んでいるから、なんとかそれをどうにかしようと考えて苦しむけど、実は全然関係ない事に一生懸命になっているだけ。だから、心配事はなくならず、不安も消えない。
自分では解決したつもりになっているのに、実は解決されていないからいつまでも不安が残る。不安が残っているから混乱し、さらに大きな不安を感じるようになって、また余計な事に想いを巡らせる。
こんなことを繰り返していると、だんだんと行動がおかしくなってきて、周囲の人にも迷惑をかけ始めることになる。

今の僕はこんな状態になってる感じがします。
もがけばもがくほど余計な心配事を新しく抱え、自分を無駄に浪費している。

最初の心配事については内的要因もあれば外的要因もあるでしょう。
内的要因について考えてみると、生きている以上誰でも心配事を持っていますし、それを無くす事はできません。だから夢や希望を持ちながら生きる事で、少しでも心配事を心配だと感じないで対応する事が重要なのではないかと思います。
また、外的要因について考えてみると、これもまた避ける事はできないでしょう。人は一人では生きられないのだから、絶えず誰かと接触し、何らかの影響を受けています。また周囲の環境からも多くの影響を受けます。ただ、それらの影響をしっかりと自分のものにし、明日の糧とするためには、やっぱり夢や希望が必要だと思います。周囲から受けるものの本質に目を向けるためにはしっかりとした考えが必要であって、しっかりとした考えとは自分に目標や目的があってこそ養われるのだと思います。

ただ、人それぞれに容量があることは事実。その容量は成長する事で大きくなっていくことはあるだろうけど、ある時点における容量というのはあって、それを超過した心配事を抱える事はやっぱりできない。

そこで、注目したいのが外的要因。人は外的要因を生み出す事ができ、意図しているしていないは別にしても、他人にストレスを与えるような行動はたくさん考えられます。特に、相手より上の立場になっている人は簡単に人に影響を及ぼす事ができます。意図して人に悪影響を与えようとするのは論外である事はもちろん、意図せずにも悪影響を与えるのは良くないことだと思います。

こうしてまとめながら自分について考えてみると、やっぱり始まりは外的要因かなと思います。上司からの二転三転する話に耳を傾けたせいで、これからの自分の処遇にとても不透明なものを感じ、そんな中で子供はどんどん成長し、将来に大きな心配をせずにはいられませんでした。その結果あれこれと手を出し、今では自分がどうすることもできないと感じるほど多くの間違いを繰り返してしまった。とりあえず、この混乱を収拾するためには、今しなくてはならないことをきちんとするしかない。
暫く思考を停止し、実務のみを対象に行動してみる必要があるように感じます。

そして、自分自身を見返してみると、僕も人にストレスの外的要因を与えるようなことを頻繁にしているように感じます。些細な嘘や冗談だと考え、軽い気持ちでやった自己中心的な行動を反省するのみです。自己中心的という事の邪悪さを改めて考えさせられました。

長いだけで何が言いたいのか全然わかりませんね。

ただ、ここ数ヶ月間に僕は多くの間違いをしてしまった。まだ上述した不安の螺旋階段を昇っている途中かもしれないけど、目の前に小さな希望があります。それは、陰気な僕に優しい声をかけ続けて、僕の失敗を一緒に頑張って対処し、「人が悩むのは成長する前の段階だよ」と慰めてくれるかみさんです。人の悪いところばかりを見つけて文句を言う僕の横にいながら、嫌なところばかりを見せるようになった僕をきちんと支えてくれる優しさを本当に暖かいと感じています。こんなかみさんや家族に迷惑をかけないためにも、しっかりしないとだめですね。

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