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2006年4月の21件の記事

2006/04/30

引っ越し、一段落

さすがに疲れました。先週の水曜日から、遅れを取り戻すために毎日引っ越し先の間を何往復もしながら、重たい段ボールと格闘していました。筋肉痛になりながらもくじけることは許されず、かみさんと口論になりながらも何とか物を移動させることができました。

昨日、3トン車クラスのトラックで引っ越しをしたのですが、荷物の約半分は運び出していたのに、全部積みきることができず、今日も荷物の運び出し...明日も...こんな引っ越しはもうこりごりです。

しかし、この苦労の成果は大きく、子供もかみさんも、義母さんもみんな大喜び。3DKから3LDKに移動しただけなのに、とっても部屋が広くなったような気がします。近所にも子供が多く、目の前には公園があり、そのため二人の娘は大はしゃぎです。上の子は「もう引っ越ししないよね?」と何度も尋ね、「何で?」と聞くと「だって、引っ越ししすぎだもん。それにこの家が大好きだから。」...ついつい、転勤族の悲しい性を説明してしまいました。幸か不幸か、全然理解していませんでしたが...

ちなみに一番僕を苦しめたのは、僕の本達です。10年も前に買ったプログラミングの本や、バージョンアップを続けていて、既に数世代古くなっているソフトウェアの箱と取扱説明書、膨大な量の技術資料達...しかもそのいずれもこの数年間、本棚の肥やしになることはあっても、掘り返されることは一度もなかった代物ばかり。
何で、今でもこんなものを持っているんだ!!捨て、捨て、捨て!!
今度の引っ越しで、「捨てられない病」を克服できそうな気がします。
とりあえず本の処分については、BookOFFに売ろうと思っても二束三文で買いたたかれるだけなので、とくにPC関連の技術資料が少ない市立図書館にでも寄付しよう。さて、どれを寄付しようかな...これは、最近見てないけど結構良いこと書いてあったし...これは、もし古いOSでサーバー立てる時に参考になるし...これは、もうとても古いバージョンだけどソフトウェアを持ってるから、また見ることがあるかもしれないし...ということで、いつまで経っても決められないので、2000年以前の本は一律に寄付!...後で結果報告します。

また、以前住んでいた所は倉庫がついていたので、冬用タイヤやレジャー用品は全てそこに入れていたのに、今度の家にはそれが無い。近いうちに倉庫を購入する予定ですが、思わぬ出費に伝家の宝刀「クレジットカード」を使う日が来そうです。

これまでは、子供のPCと僕のPCを別の部屋に置いていたのですが、今度は同じ部屋に置くことになったので、一つの部屋にプリンタとスキャナが2つずつあります。これは無駄ですね。とりあえず、僕のデスクトップと子供のデスクトップをPC切り替え器につないで、ディスプレイとキーボード、マウスは一つにする予定。

やっと一段落したので、ダイアルアップでメールのチェックをしてみました。おお!大量のメールが...9割がスパムでした。ダイアルアップには辛い(ToT)。スパム業者さん達、ADSL接続ができるようになるまで僕にはメールを送らないで下さい。

明日は、朝から旧我が家のお掃除。大量のゴミと埃を残っているので、行くのが嫌になってしまいます。
...でも行かないとね。

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2006/04/28

引っ越しの連絡

明日、引っ越しをします。知人や関係者の方々には、後日新しい住所を連絡させて頂きます。

そこで、困ったことが発生しています。

ISPにも同様に引っ越しの手続きをしたのですが、「2週間前に手続きをすれば、引っ越し後にすぐネットが利用できます」という言葉を信じていたのに、手続きの2週間後に来た連絡は「開通日は5月11日になります」ということでした。

そうなるとわかっていたら、別の方法をとったのに!!何故連絡しない!!

ということで、本当に久しぶりにクレームの電話をしました。オペレータの「○○に但し書きがあるので、こちらに非は無い」とか「そういう連絡はしないことになっていますので」というこちらが困っていることに対する謝罪も今後の対応も示さない反応に、思考回路が停止してしまいました。すると不思議なもので、サポセンの人達がクレーマーをあざ笑っている時に紹介されたような言葉ばかりが、堰を切ったように口から出てくるのです。
サポセンの人達は、クレーマーをあざ笑う前に自分たちの対応がそういう発言を招いているかもしれないと考えてみてもらいたい。

もちろん、そんなことを言ったところで何も解決しないので時間の無駄なのですが、何年サービスを利用していようが新規のユーザーだろうが十把一絡げで扱われるというのに何だか悲しい想いを感じました。「利用して何週年目になります」とか言って、プレゼントを贈るようなサービスなんかいらないので、利便性を向上させてくれ!

ということで、これから10日以上ネットに接続できない時間が続きます。必然、更新周期は長くなるものと思われますが、久しぶりにダイアルアップなどをしてみるかもしません。最近は通信速度が速くなってきて、数MBのファイルを添付してメールを送る人とかもいるからちょっと心配。うーん、無料で公開されている無線LANスポットでも探しに、車にノートパソコンを積んで住宅地にでも行ってみるかな...

来週からGWですが、ネットにつなげないから、多分すごく暇にしていると思います。
GWにはどっか行きたいけど、目的地が見つからないという人がいれば、僕の家に遊びに来ませんか?

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Google Maps API Version 2 その2

先日、アップグレードガイドを翻訳していたのですが、内容をよくよく読んでみると、あと数日で旧バージョンは使用できなくなるような感じ。バージョン2を解説した書籍も少ないので、この際だから自分のためにもきちんと関連するドキュメントを翻訳してしまおうと思います。

とは言え、休み休みなので完了する前にどこかで本が出版されるような気もしますが、それはそれ。

とりあえず、ドキュメントのトップページを1/3程度翻訳したので、公開してみることにします。
しかし、冒頭の部分は移行のためには全く役に立たないので、重要な部分の翻訳は1/5程度かな...

興味のある方は覗いてみて下さい。また、前回同様ご意見・ご感想には真摯に対応させて頂きますので、何かあればコメントをお願いします。

Google Maps API ドキュメント

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2006/04/27

サラリーマン増税

「郵政民営化」という言葉に踊らされて、大挙して自民党を押し上げた国民達は今、そのしっぺ返しを食らおうとしている。

二十代で公務員の一般職員の最高職以上の給料をもらっている人や、それほどの給料をもらっても個人の仕事の為に議員としての仕事をボイコットする人を選んだ国民は今、「お願いします!」と頭を下げた人達から「増税」というお返しをもらおうとしている。
この「増税」は、選挙で自民党を選んだ人だけにしてもらえないかなぁ。

ということで、サイドバーに増税額を計算するFlashを追加してみました。サラリーマンの皆さんは、是非試してみて下さい。僕は毎年新しいノートパソコンを新調できるくらい増額されてしまうようです。

それより、人口減少対策に寄与している我が家をもっと優遇してくれるような制度を早く作ってくれないかなぁ。
それより、年金をもらえない義母のために給料から天引きされるのも何とかならないかなぁ。

みんなバランスが大事なのよ。腐敗した民主主義は、立派な指導者による独裁政治より劣っているという気がするのに、腐敗した政党による独裁政治はいったい国をどこまで落としていくんだろう...

こんな状況下では、国民が物申すような行動をとるというのはとても重要だと思います。この増税反対サイトもそうだけど、他にもおかしなところがあったら、どんどん世論を動かすように一人一人が協力していかないと大変なことになりますよ。

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2006/04/26

竹島問題...再び!

またまた騒ぎになってますね。
いまいちよくわからないのですが、どうして韓国が自国の領土だと主張しなければ海洋調査をしないというところに帰着するの?お互いが俺のだ、俺のだと主張しているけど、なんだかおかしな気がしてきた。

ちょっと別の観点から見てみましょう。アメリカは誰の土地?
ネイティブアメリカンのものですか?侵略者たちのものですか?
竹島が自分たちのものだと主張する日本人は、アメリカの土地はネイティブアメリカンに返還すべきだと思いますか?

竹島に行ったことがある日本人は何人いますか?

日本の法律では、たとえそれが違法な行為によるものだとしても、そこに数十年住むと所有権が移転するというものがあるそうですが、これと同じ議論をした時、竹島がそれに当てはまらない理由はなんですか?

もともと日本の土地自体、誰のものだったんですか?

ということで、竹島は「独島」でOKだから、排他的経済水域をもうちょっと韓国側に寄せてよという帰着点が一番良いような気がするのですが、どうでしょう。
この問題は色々な根があるようですが、それより北方四島はどうなったのという気持ちになるのは、僕が子供の頃に受けた学校教育のせいでしょうか。

正直、島根県出身ですが、竹島ってどこにあるのというのが「竹島の日」が騒がれた時の第一印象です。そんなところが本当に重要なんだろうか?

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2006/04/25

mixiニュースへの日記

mixiで、ページの右側に最新のニュースがいくつかピックアップされて表示されるようになってからずいぶん経ちます。このニュースの内容自体はいくつかのニュースサイトから提供されているようなものなので、他のサイトでも閲覧が可能なのですが、mixiではこのニュースに対してコメントを書くことができるんですよね。

僕も何度か書いてみたのですが、これはなかなか面白い。世の中の情勢や事件について自分の思ったことを書いたり、他の人が思ったことを見たりすると、色々と勉強になることがあります。

ところが、最近は昔では考えられなかったような事件が多く、毎日1つの殺人事件が報道されるような日々が続いています。そして、Webを使えば個人でも様々な情報を収集できることから、そういうことに馴れた人は被害者や加害者について様々な情報を暴露していたりします。そのため多くの人の本名や経歴はもちろん、その家族についても様々な情報が入っていて、簡単に個人を特定できそうです。

これ自体は悪いことです。人権を無視したこの行為は、自分がその被害者になった時、どれほど嫌な想いをするのか想像できない人が多いとしか思えない。事件が新しい事件の始まりになっている。

しかし、こういう行為が無くても自分の町で人を殺した人がいれば、その町に住んでいる人は加害者と被害者の情報を簡単に入手でき、その家族は居心地の悪い思いをしているのだと思います。こういう状況を生み出すということが、昔の人達の犯罪に対する抑止力になったのではないでしょうか。
ところが、最近では再犯の恐れがある個人も野放しにされて自由に行動し、新しい被害者がどんどん生まれていることからも、何かのバランスが崩れ、やってはいけないこととやっていいことの区別ができる人が少なくなっている。

個人の情報を暴露する行為は悪いことだから、この行為を犯罪として取り締まるだけではなく、モラルとしてしてはいけないという教育をきちんとするのはもちろんですが、犯罪を犯せば個人を特定され末代まで苦労をするというような現実を教えることで犯罪への抑止力になったりはしないだろうか。

こうした情報の暴露は、他人の人権を無視する人の人権を重視するというような制度に対する人民の想いが反映されている結果なんじゃないかな。

被害者を悪人のように書く人がいて、それを非難する人もいますが、被害者に全くの非が無い場合の多くは同情が集まるように感じています。全てを肯定するわけではないけれど、今の日本の「犯罪は犯した者勝ち」みたいな状況が、こういう情報の暴露が発生する要因になっていると言えると思います。

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2006/04/23

Google Maps API Version 2

しばらく情報を集めてなかったら、いつの間にかバージョンアップしてたみたいですね。
公開日が4月3日付けになってたから、もう半月以上が経過してるようで、慌てて情報を集めていました。

僕が当初考えていたより、GoogleMapsAPIを使った商用サイトが登場していない。その理由は、色々なところで議論されている「商用利用」についての解釈がまちまちで、「一体どうすればいいんだぁ」という印象を受ける人が多いためではないかと考えます。

しかしながら、WindowsにはGoogleMapsAPIを簡単に利用するためのツールが出回ったせいか、会社やお店の所在地を表示するような利用形態はちらほら見かけますね。
こういう「内容はよくわからないけどツールを使って表示はできるようになった」という人達がバージョンアップに対応するには、それらのツール作者頼みになってしまうのは否めません。
幸い、バージョンアップしても以前のコードはそのまま動作するように作ってあるようなので一安心ですが、これだっていつまで保証されるかわかりませんよね。

ということで、やっぱりAPIの英語のドキュメントは読まないとだめかな。しかし、コードも読み下さないといけない上に英語まで...と落胆する人も多いのではないでしょうか。

そこで、稚拙ながらGoogleのページにある「アップグレードガイド」をそのまま翻訳してみました。自動生成されたコードを自分でアップグレードする人の一助にでもなればいいなと思っています。翻訳したのはアップグレードガイドのみなので、リンク先は全て英語です。

ちなみに、翻訳は完璧とは言えません。間違っている部分もあるかもしれません...いいや、必ずあります。ご指摘頂ければすぐ訂正しますし、何か不都合があれば適切に対処させて頂きますので、ご意見・ご感想があればよろしくお願いします。

では、興味のある方は下記リンクをご参照下さい。

Google Maps API Version 2 アップグレードガイド

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2006/04/22

「達人」について

最近、悩むことが多くて弱ってます。かみさんに言わせると、悩むのは成長する前の段階だから心配することはないということだそうですが、それを聞いても何も救われない...また、日本海側の憂鬱な天気がそういう気分にさせているという意見もあります。まぁ、実際にそれほど大きな問題が目の前にあるかというとそうではなく、何となく将来が不安とかいう杞憂に似たものが胸の中で大きな位置を占めているだけなので、憂鬱になり続けるのではなく、ちょっと不安についての思考を止めてみる方がいいかもしれません。

というところで、突然ですが「達人」について思うところを書き留めておきます。

以前、趣味で絵を描いていた時、自分が上手に描けたと思える絵が完成するのは決まって、自分で考えて描いた時ではありませんでした。それはどういうことかと言うと、何か心から「絵が描きたい」という想いが沸き上がって白紙のキャンバスを見た時、そこには完成した絵が見えるのです。僕はその絵を見ながら上をなぞるだけで、絵が完成するのです。でもそんなことは年に1度あるかないかです。
そうして描かれた絵に限って、知人や先輩達の評価は高く、その評価を聞きながら複雑な想いを抱いていました。何だか、自分の絵じゃないのに自分が描いたように言ってるようで、変な罪悪感を抱いたりしたものです。でも、確かに僕が考えて描くより、とてもいい作品が出来上がったものです...とは言え、いずれの作品も芸術品と呼ぶにはほど遠いものですが...。

以前、空手で組み手をしている時、自分が「ここを攻めよう」とか考えても避けられるか、カウンターを食らうことばかりでした。でも、余り考えないで集中している時、攻めるべき場所は自ずと見えてきたような気がします。そうして見つけた場所を攻めると、ほぼ必ず技ありや一本を取ることができました。
そうして勝った時、褒められることもありましたが、やっぱり複雑な想いを抱きます。口から出る言葉は「たまたまです」ばかり。とは言え、そんなの年に何度もありませんでした。

しかし色々な本を読んでみると、こういう想いは僕が特別だから感じることではなく多くの人が感じているようで、同じような言葉を簡単に見つけることが出来ます。
そこで、「達人」というのはこういうことから始まるのではないかと考えてみます。

求める結果の理想を思い描き、それを実現するために努力する。そして時々、真理と出会う。さらに努力や思考を繰り返すうちに真理を見出す機会が増える。最後にはいつでも真理を見ることが出来るようになる。そうなった時、人は「達人」と呼ばれるようになる。

こう考えて、有名な本をいくつかひもといてみると、多くの言葉がそれにつながるような気がします。

聖書の「マタイによる福音書」には、「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。」というようなことが書いてあります。もちろん、これは物欲を言葉にして「あれが欲しい」「これが欲しい」という意味ではないのは周知の通りですが、「求める」というのは「待ち望む」ことではなく、それを得るために常日頃から努力をすることで、そうしていれば何かが「与えられる」のでしょう。この本の中でもしきりに真理と言う言葉が使われます。それが本当に何を指すのかはわかりませんが、真理を得た時、人は敵を愛し、隣人に叩かれれば反対の頬を差し出すことができるようになるのではないでしょうか。

論語にある、とっても有名な箇所として「吾十有五而志于学、三十而立。四十而不惑、五十而知天命。六十而耳順、七十而従心所欲不踰矩。」というのがあります。ここにある「不惑」とは、真理の探求を目指すことに何の迷いも感じることがなくなり、その10年後に真理を見つけたということなのだと勝手に解釈してみます。

これらは薄学な僕が、知ってることをかいつまんだだけのものですが、かみさんの「悩むのは成長の前段階」という話の裏付けにもなるような気がしてきます。

色々な分野の「道」がありますが、その先は皆同じなのではないでしょうか。つまり僕たちは色々な方法や手段を使って、一つに収束する真理を追い求めているのではないかと思います。
まとめると、「何かの道を究めることは真理を見つけることで、つまりは人生を究めること」になるのかな。

だからこそ人は夢を持ち、何かに夢中になって努力することが大切なのだと言えます。僕がこうして感じる不安も、夢を見失いかけ、日々を惰性で生きているからに他なりません。
「ああ、何かしなくていけないなぁ」と今頃考える僕は、孔子様年齢でいうところの15歳(志学)なのかな。

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2006/04/21

総務部

本当に総務部で働く人のモラルの無さには驚きを隠せません。

数年前、医療費がかさんだので確定申告をすることになりました。ちょうどタイミング良く会社から「確定申告したい人は用紙を送付するので連絡をして下さい。」という案内が来たので、申し込みをしました。
それからいくら待っても連絡が無いので、どうなってるのでしょうかという電話をすると「担当者が忘れてたみたいだ。」という他人事みたいな話をする人がいました。すぐに郵送するということだったけど、締め切りは2日後なのでどうやっても間に合わないという話をすると、それは当方の過失だから締め切りを過ぎても対応するという返事でした。
結局、書類が届いたのは締め切り日の金曜日。週末に内容を記載していて、いくつかわからないところがあったので、月曜日に聞いてからすぐ郵送しようと出来るところまで記載して、月曜日に担当者へ電話しました。
「すみません、ちょっと聞きたいことがあるんですけど...」と言ったところで、態度が豹変していて、「締め切りすぎてるんだから、今更質問されても困る。その手続きは自分でもできるから自分でやって下さい」とのこと...開いた口が塞がらない。
なら最初からそう言えば?言い方も、「何言ってるんだこいつ」みたいな感じで、なんなの?と思わずにはいられませんでした。

それから数年が経ち、そんなこともすっかり忘れていた矢先にまたやってくれました。
今度の引っ越しは、借り上げの社宅扱いなので総務に手続きをしてもらっています。色々な事情があるから、ちょっと早めに鍵をもらって使わない荷物を運ぼうと思っていたので、担当者に事情を説明し、手続きを多少早めに進めてもらうようお願いをしていました。担当者は「はい、わかりました。なんとかします。」という2つ返事だったので、不動産屋にも来週の月曜日には鍵を貸してもらえるようお願いをしていました。
しかし、今日になって「会社から家賃の振込がないから鍵は貸せません」との連絡が...よくよく事情を聞いてみると、1週間前に送った請求書の宛名が社名が変更になったため間違っているという連絡が今日あったそうです。僕の事情を知っている不動産屋が「早めに振り込まれないと、きむらさんが困りますよ」と言ったら、「そんな今日明日に振り込むなんて無理ですよ」との返事だったそうです。

確かに会社は不動産屋にとって客かもしれないし、僕は会社から何かをしてもらっている立場だから、「嫌ならやめれば?」と言われればどうしようもないかもしれません。

でも、そういうことなの?
客なら何をしてもいいの?

間違ったのは悪いかもしれないけど、それを1週間も置き去りにしておいて、自分に全く非は無いような言い方するなんて...人情のかけらも無い。最近は、自分が悪くなくても一言「すみません」と言い、言われた方も「いえいえ、こちらこそ申し訳ないです」という日本の受け答えを久しく聞くことがありません。

一昔前、外国の人は謝らないから、最初に「Sorry」と言った方が悪くなるということをよく言われていました。
でも、今まで僕が知り合った外国人で、悪いことをして謝らなかった人はいません。謝らなかったのは、自分が正しいと信じている時ぐらいで、それでも間違いだと気が付けば必ず謝ってきました。

一体誰が外国人なんだか。
日本人って、もういないんですか?

上の担当者が同一人物なら、この人が変わってるのかな?とも思うのですが、別人だから始末が悪い。これだけを見て、この人は悪だと言うわけにはいかないというのはよくわかりますが、何故だかとても恐ろしい不安を覚えます。人が困るような状況を作り出すことについて全く思いを巡らせることの無い人が、労働者のサポートをしているという状況はどうなのでしょう。
「総務の人間に期待する方が悪い」ということを言う人もいますが、それもまた悲しいですよね。

追記。
...とちょっと経ってから読み直してみると、何が何だか全然わからない文章ですねぇ。やっぱり気分が高揚している時に書き物をするものではないということでしょうか。

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2006/04/18

与え続けた結果

以前の記事(我慢させることで、より大きな喜びを与える)で書いた何でも与える親とその子供の関係に進展がありましたので、簡単に報告しておきます。

とある家庭では、外出する度に子供に何かを買ってあげていたそうです。「あれが欲しい」と言えば買ってあげ、「これが欲しい」と言えば買ってあげるという事を繰り返しているうちにどんどん品物が高価になっていったそうです。その家に行くと、「おいおい、僕も持ってないよ」というようなものが子供のためにずらりと並んでいました。

そして最近の話を聞くと、近頃は子供が寝ていたりテレビを見せている間に両親だけで外出するようになったそうです。その理由は、買い物に行くと「あれが欲しい」「これが欲しい」とうるさいからだそうです。
外食する時は、子供が保育園に行っている間に二人で済ませるようにしているとのことです。理由は「あれが欲しい」「これが欲しい」と全部食べるわけでもないのに、注文しようとしてきりがないからだそうです。

子供が可愛いからと欲しがる物を与え続けられた結果、この子供は親とともに楽しみを分かち合うというとても基本的なものを与えられなくなってしまったようです。

「回りの子供が持っているから自分も子供に買ってあげなくてはならない」という考えはとても危ないような気がします。「○○ちゃんが持っているから、私も欲しい」と言って、それを手に入れようとするって変じゃないですか?
それの要・不要ばかりか、それが欲しいか否かすらきちんとわかっていない子供に、何でも与える行為は、結局その子供が手に入れなくてはならない本当に必要な物を奪う行為になりかねないのです。

「我慢させると可哀想」というコメントもありましたが、どちらがもっと可哀想ですか?

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2006/04/17

睡眠不足

僕の今の職場は三交代勤務です。しかし、ちょっと変わった三交代勤務なので、少し説明します。
ローテーションは
 予備 = 8:30〜17:15(月〜金)
 午前 = 8:30〜17:15(月〜金)
 午後 = 13:15〜24:00(月〜金)
 夜勤 = 23:45〜8:30(日〜木)
という順番で回ってきます。つまり、ほぼ毎週生活時間が切り替わるのです。

前の職場は、朝6:00前に家を出て、夜23:00に家に着くというような生活をしていたので、出向直後は「なんて楽な職場なんだろう」と感じたものでした。

しかし、人間の体内時計は不規則な生活をしているとどんどん狂ってくるもので、僕の起きている時間も今はめちゃくちゃです。朝4:30に起きてみたり、何故だか眠れなくて徹夜してしまったり...休日は特に疲れます。
夜勤の日も、子供は僕がいるのが嬉しいらしく、寝ているそばにやってきては描いた絵を見せたり、自分の話をしたりと大喜び...そんな我が子に「眠たいから、あっちに行きなさい」とはなかなか言えず、ついつい寝ないで相手をしてしまいます。

最近やっと、前の職場より家にいる時間が長いのに、睡眠時間が圧倒的に少ない事に気が付きました。
何でも、人の寿命は起きている時間に比例するとかいう説もあるようなので、どこかで睡眠時間を確保しないと僕は短命で終わってしまうかもしれません。

夜勤の時は交代で仮眠でも...と思っていたのですが、こういう時に限って僕の担当箇所に不具合があり、それどころではなくなってしまいました。

疲れて家に帰り、今は布団に入って寝る準備は万端。でも、何故か全然眠たくない。何とかこの体内時計を合わせる良い方法はないものかなぁ。

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2006/04/16

確率・統計の勉強

4月から始めた放送大学は、様子見のために3科目しか選んでいません。そこで、選んだ科目は、
 1.物理の世界
 2.英語基礎A
 3.確率・統計の基礎
です。

とりあえず、全ての科目が一度どこかで勉強した事のあるものばかりなので、余裕のつもりで構えていたのですが、ちょっと甘かったです。「確率・統計の基礎」が思ったより難しい。

何でもフィーリングでつかむようにしていたのですが、これはなかなか僕のフィーリングが通用しない。以前、企業内の社員教育施設で勉強した事があるので、わかっているはずなのですが、何故か設問が解けない...そう言えば、あの頃も何となくこうだろうと思ったのが当たっていただけで、きちんと理解していなかったような気がします。

復習のつもりだったのに、意外と手強く、本を読み進める事ができない...放送を聞いても教材を朗読しているだけだから、別に何かヒントがあるわけでもなく、これは他の本でも読みながら勉強しないと理解できなさそう。初めからこれだと先が思いやられるなぁ...

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2006/04/14

人が見ていなくても、悪い事をしてはいけない

0604140555子供に「人が見てなくても、悪い事をしてはいけない」と教えるのはなかなか難しいですね。悪い事をしていると邪推して怒るわけにもいなかないし、子供が悪い事をしていない時に話をしても伝わらない。そこで、よく使うのが「神様」。普段から「人が見てなくても、神様はちゃーんと見てるんだよ」と諭していれば、それなりに身に付いて、自然と人が見てない時にも自分を正すのではないかと思ったりします。

そんな事を考えているおり、次のような文章を思い出しました。

『所謂誠其意者、毋自欺也。如悪悪臭、如好好色。此之謂自謙。故君子必慎其独也。
小人閑居為不善、無所不至。見君子而后厭然、揜其不善、而著其善。人之視己、如見其肺肝然。則何益矣。此謂誠於中形於外。故君子必慎其独也。』

中国の「大学」という本の伝六章に出てくる一節です。よく、この中の「小人閑居為不善(小人閑居して不善を為す)」という部分を切り抜いて用いられ、人は一人でいたり、暇があると悪い事をするという意味で使われます。この切り取った部分だけでも十分に意味は伝わるのですが、前後も読んでおく方がもっと大切な気がしたので、ここで紹介しておきます。

「誠意というのは、自分自身に嘘をつかないということである。悪臭のするものを嫌だと思い、綺麗な色を綺麗だと感じる。これが自分に素直になるということである。よって、立派な人は人が見てないことろでも必ず行いを慎むのである。
良くない人は一人でいると悪い事をし、それには際限がない。立派な人を見て、悪い行いを隠し、良い部分だけを見せようとする。でも人が自分を見た時、腹の中まで見通されるもので、そんな事(隠すような事)をしても何の効果もない。心に誠がないというのは外に見えるものである。だからこそ、立派な人は人が見てないことろでも必ず行いを慎むのである。」

人は自分自身を欺く事が多く、本当はしなくてはならないと思っていることでも、なんだかんだと理由をつけてはしていない事を正当化しようとし、そんな事をしているうちにいつの間にかしていない事は悪い事ではないように感じてしまう時があります。だからこそ、悪い事の際限が無くなってしまうのではないでしょうか。

そういう自分はどうかと振り返った時、僕も小人街道をまっしぐらに突き進んでいる最中でした。これから、自分のやったことを覆い隠すというつもりはありませんが、少しでも行いを正せるよう心がけなくてはなりませんね。

本当に「子育て」は「親育て」だなと改めて思いました。

補足として、もしここに載せた本や類似した中国の文献を見てみたい方は、下記サイトをお薦めします。ちょっと初心者向けではないですが、きちんとまとめてあって、参考になりますよ。
Web漢文体系

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2006/04/13

生活の変化

4年間という短いような、長い期間にあまり生活の変化がなかったため、自分の頭もずいぶんと変化に対応する力が落ちてしまっていたようです。ここ最近、する事はそれほど多くないのですが、やらなくてはならない事の新しさに色々なストレスを感じる毎日です。

これまで、「のんべんだらり」と日々を送っていて変化が無さ過ぎました。

今年になってから放送大学に通い始めたり、引っ越しをしたり、研修に参加したりと既に始まった事やこれから来るやったことない事の山に、漠然としながらもとても大きな不安を感じています。以前ならこれらの変化を楽しんだものですが、今では楽しんでいるとはとても言えないです。自分一人なら「いけー!ゴーゴー!!」とどんどん突き進んで行けるのですが、やっぱり隣に控えている人が多いと言うのはなかなか大きな錘ですね。ついつい昔の感覚で色々と手を広げてしまい、以前との環境の違いを改めて痛感しています。

しかし、いつまでもこんな事ばかりを言ってもいられません。これまでは変化の少ない生活を送ってきたかもしれませんが、これからは多少変化が訪れます。これにうまく対応していかないと、色々と困る事や勿体無い事になりますから。それに負っているものが重い重いと言って、何もしないのでは更に何もできなくなってしまいます。

出向してから早4年。これから何年ここにいるのかもわかりません。長期の出向をすると、出向元の職場に戻ったら「浦島太郎」になってしまうとよく言われます。ですが、考え方をちょっと変えてみると、全然違う職場で活動する事にはいくつかの利点もあるはずです。職場に戻ったら他の人たち全員が「浦島太郎」になっているような状況を生み出せるような気概で頑張ろう。

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2006/04/10

僕が名前をひらがなで書く理由

その昔、イラストを描いていた頃は色々な名前を使っていて、高校時代に定着した名前で就職してからも暫く活動していましたが、プログラミング関連の活動では本名を使おうと思いました。
ですが、僕の名前は漢字で書くととてもありきたりなので、ちょっと工夫する意味も込めてひらがなで書いてみました。雑誌にこの名前が掲載されてみると、そんなに悪くないと感じたので、それ以来ずっとひらがなで通してきています。今では、GoogleやYahoo!で「きむらしのぶ」を検索すると僕に辿り着くまでになりました。

...とここまではただの前置きで、先日mixiのニュースで見つけた「成分分析」というソフトを試してみました。まず、名前を漢字で分析してみると、

木村忍の28%はハッタリで出来ています。
木村忍の24%は勇気で出来ています。
木村忍の24%は時間で出来ています。
木村忍の8%は電波で出来ています。
木村忍の6%は睡眠薬で出来ています。
木村忍の4%は大阪のおいしい水で出来ています。
木村忍の4%は雪の結晶で出来ています。
木村忍の1%はツンデレで出来ています。
木村忍の1%は赤い何かで出来ています。

って、僕は何ですか?続いてひらがなで分析してみると、

きむらしのぶの44%は野望で出来ています。
きむらしのぶの26%は信念で出来ています。
きむらしのぶの18%は媚びで出来ています。
きむらしのぶの9%は運で出来ています。
きむらしのぶの2%はやらしさで出来ています。
きむらしのぶの1%は乙女心で出来ています。

と、とりあえず人間っぽくなりました。

ただのジョークソフトなので、それで何か決まるわけでも、変わるわけでもないけど、漢字よりひらがなの方が合ってるような気になってしまいました。ひらがなで通してきて良かった。単純...

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2006/04/09

不安と原因

人は何か心配事があると小さな事でも不安を感じるようになるみたい。
そして、その不安に襲われると余計な事ばかりを考えて、いらない事に想いを巡らせて心配事の原因から離れていき、心配事から遠ざかることで、不安だけを大きく感じるようになる。不安によるストレスが過度に高まると、今度は原因を見つけようとしていろいろといろいろな事を疑い始め、最後には関係ない事を不安の原因だと思い込む。
自分はそれが原因だと思い込んでいるから、なんとかそれをどうにかしようと考えて苦しむけど、実は全然関係ない事に一生懸命になっているだけ。だから、心配事はなくならず、不安も消えない。
自分では解決したつもりになっているのに、実は解決されていないからいつまでも不安が残る。不安が残っているから混乱し、さらに大きな不安を感じるようになって、また余計な事に想いを巡らせる。
こんなことを繰り返していると、だんだんと行動がおかしくなってきて、周囲の人にも迷惑をかけ始めることになる。

今の僕はこんな状態になってる感じがします。
もがけばもがくほど余計な心配事を新しく抱え、自分を無駄に浪費している。

最初の心配事については内的要因もあれば外的要因もあるでしょう。
内的要因について考えてみると、生きている以上誰でも心配事を持っていますし、それを無くす事はできません。だから夢や希望を持ちながら生きる事で、少しでも心配事を心配だと感じないで対応する事が重要なのではないかと思います。
また、外的要因について考えてみると、これもまた避ける事はできないでしょう。人は一人では生きられないのだから、絶えず誰かと接触し、何らかの影響を受けています。また周囲の環境からも多くの影響を受けます。ただ、それらの影響をしっかりと自分のものにし、明日の糧とするためには、やっぱり夢や希望が必要だと思います。周囲から受けるものの本質に目を向けるためにはしっかりとした考えが必要であって、しっかりとした考えとは自分に目標や目的があってこそ養われるのだと思います。

ただ、人それぞれに容量があることは事実。その容量は成長する事で大きくなっていくことはあるだろうけど、ある時点における容量というのはあって、それを超過した心配事を抱える事はやっぱりできない。

そこで、注目したいのが外的要因。人は外的要因を生み出す事ができ、意図しているしていないは別にしても、他人にストレスを与えるような行動はたくさん考えられます。特に、相手より上の立場になっている人は簡単に人に影響を及ぼす事ができます。意図して人に悪影響を与えようとするのは論外である事はもちろん、意図せずにも悪影響を与えるのは良くないことだと思います。

こうしてまとめながら自分について考えてみると、やっぱり始まりは外的要因かなと思います。上司からの二転三転する話に耳を傾けたせいで、これからの自分の処遇にとても不透明なものを感じ、そんな中で子供はどんどん成長し、将来に大きな心配をせずにはいられませんでした。その結果あれこれと手を出し、今では自分がどうすることもできないと感じるほど多くの間違いを繰り返してしまった。とりあえず、この混乱を収拾するためには、今しなくてはならないことをきちんとするしかない。
暫く思考を停止し、実務のみを対象に行動してみる必要があるように感じます。

そして、自分自身を見返してみると、僕も人にストレスの外的要因を与えるようなことを頻繁にしているように感じます。些細な嘘や冗談だと考え、軽い気持ちでやった自己中心的な行動を反省するのみです。自己中心的という事の邪悪さを改めて考えさせられました。

長いだけで何が言いたいのか全然わかりませんね。

ただ、ここ数ヶ月間に僕は多くの間違いをしてしまった。まだ上述した不安の螺旋階段を昇っている途中かもしれないけど、目の前に小さな希望があります。それは、陰気な僕に優しい声をかけ続けて、僕の失敗を一緒に頑張って対処し、「人が悩むのは成長する前の段階だよ」と慰めてくれるかみさんです。人の悪いところばかりを見つけて文句を言う僕の横にいながら、嫌なところばかりを見せるようになった僕をきちんと支えてくれる優しさを本当に暖かいと感じています。こんなかみさんや家族に迷惑をかけないためにも、しっかりしないとだめですね。

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2006/04/07

入園式

今日は次女の幼稚園の入園式がありました。
なんだかよくわかっていない子、泣き出す子、しっかりと言う事を聞く子など様々でしたが、3歳という年齢の幼さを改めて感じさせられました。

入園式が終わってから、ふと周囲を見渡すとどこかで見た事ある顔がありました。見た事あるような気がするけど、今住んでいる所の付近に昔の知り合いがいるはずもないと思い、声をかけることもなく立っていると、「きむらさんじゃないですか」と声をかけられました。彼は4年以上前に同じ現場で働いていた人でした。とは言え、物覚えの悪い僕は記憶の中からはっきりとその人物を特定する事ができず、向こうから名乗ってもらって初めてはっきりと思い出すことができました。

まさかこんなところで昔の知り合いに会うとは思いもよりませんでした。
世の中の狭さを痛感させられます。

子供が二人も幼稚園に通うようになり、僕自身もこれまで以上に責任を感じる日々を送っています。ところが、責任を感じれば感じるほど自分の過ちが目につき、憂鬱になります。そんな僕に子供が無邪気な笑顔で寄ってくれば来るほど、また責任を感じてしまいます。きっと僕の父も同じような悩みに遭遇したんじゃないかな。それを克服したからこうして僕は今ここにいることができるんだと思うと、改めて父のすごさを感じます。

子供は日々成長しています。僕の成長速度より遥かに早く成長するから、追いかけるのが大変。でも、この子達の成長を止めるような事はできない。あぁ、また責任を感じる...

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安酒にやられた

昨日、職場の歓送迎会があり、久しぶりに外でお酒を飲みました。
その会場は、近所にあるイタリアンレストランだったのですが、ここへ引っ越ししてきた時にかみさんと一度行って「もう二度と行かない」と誓ったお店でした。

僕はイタリアに行った事は無いのでそれほど詳しいわけではありませんが、イタリア人と交際していた経験から、ある程度イタリア料理について蘊蓄があるような気がしています。
その僕の舌には、ここの料理は全然合いません。何と言っても、パスタの茹で加減を知らないというところがおかしい。以前、東京にあるレストランで同じく茹で加減のおかしなパスタが出てきた時、イタリア人の彼女が「こんなの食べられるパスタじゃない、作り直して下さい。」と指摘して作り直させたことがありましたが、その時と同じ茹で加減のパスタが出てくるのです。

出てきたワインにも疑問を感じます。なんでこんな変なワインを出すんだ?料理の味を落とすでしょう?と思わずにはいられません。とは言え、他に飲むものがなかったからついついそのワインをがぶ飲みしてしまいました...そのツケが今頃きてて、とても辛いです。

今回の歓送迎会は、会費一人5,000円で飲み放題というものだったので、安い料理を出されたのかもしれません。でもね、レストランってリピーターが重要なんじゃないですか?一度に大量の人がやってくるような会で、安い相手だからと安い料理を出してたら、「これしきのお店かな」と思われて「もう一度来たい」と思わないでしょ。

素人考えで色々書いてるだけで、有識者の方に言わせると僕が間違っているかもしれません。僕はFFのポーションをおいしいと言うような人だから...本当は、こんな料理を「おいしい」というのかな?
ただ率直な感想として、「やっぱりあのお店にはもう行かない」と決意をあらたにしました。

とにかく、今朝は4時から起きてトイレに抱っこしてました...高いお酒でも、安いお酒でも飲み過ぎはだめですね。年をとって自分の飲める分量が変化しているみたいだから、飲む量をよく考えないと。

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2006/04/06

人の意見に耳を傾けなかった結果

以前の記事に書いた心配事が現実になりました。

今まで間違った意見を言おうと、正しい意見を言おうと、必ず反論し、反論しない時はそれに付随する誰も想像もしないようような部位についての話を始めて、答える事ができない発言者を嘲ってきた結果、誰もあなたに意見を言わなくなりました。

絶対服従の部下が欲しかったあなたにとって、これは「成功」なはずですよね?
だから、やる予定もない仕事について一生懸命語るあなたに、誰も「そんな予定ないですよ」という一言を言わない状況に不満を言うことはないじゃないですか。

今、あなたが心配しているのは、「人が間違った事を言っても修正しない作業員ばかり」という事のように聞こえますが、安心して下さい。あなた以外の人が意見を言っている時は、全員で考え、議論しながら仕事を進めていますから。

一年前に想像した事がこんなに的中するなんて、自分でも驚いています。
こんな状況になってから、これを修正するのはなかなか難しいですよ。しかも、今もってあなたは周囲の人だけが悪いと考えているようですから。

ただ別の見方をすると、作業員達の結束は前より固くなってきて、以前より仕事の質が向上しているような気がします。

「頭がいい」というのはどういうことなのかなと、本当に考えさせられます。知人のブログで、「0と無限」について議論をさせて頂いたことがあるのですが(今回の話題とは直接の関係はないです)、知識や能力のベクトルの向きは無限にあるから、「頭がいい」というのもまた、無限に種類があるのでしょう。だからこそ、自分の能力を過信せず、人の意見を聞きながら自分を補完していかなければならないのだと思います。また、話を聞いてくれる人には、自然と意見も集まるような気がします。

能力が限りなく0に近い部分について、それを増やすためには足し算が一番効率的なのだから、人の意見に耳を傾けず、人から意見をもらえない状況を作ると言うのはやっぱり失敗だと思わざるをえません。

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2006/04/05

心遣いの一言

今月末で引っ越しをします。今の家に住んだのは4年間という短い期間でしたが、僕の会社生活で一番長い間お世話になった家となりました。

毎年、この時期に大家さんへ区費の支払いに行っているので、一ヶ月分の区費支払を兼ねて挨拶をしました。そこで、大家さんに「残念です。良い方なのでもっといて頂きたかったのに。」と言葉をかけてもらいました。
とは言え、大家さんと会うのは年1回のみ。区費の支払以外で話をしたことはありません。

最近は事務的な受け答えをすることが非常に多いので、たった一言でも心遣いを感じるような言葉を聞くと何だか心が温まります。

先日もちょっとしたトラブルの場に居合わせた時、付き添いとしてついて行って車の中で待ってただけなのに、被害者の方から「お世話になりました」と一言。その方もいろいろと嫌な思いをした直後なのに、周りの人への気配りをしっかりされているのだと関心するばかりでした。僕なら戻るなり相手の悪口を言い続けるだけだろうと思うと、反省させられます。

一昔前ではこういう言葉でさえ「事務的」と言われていたのに、今では業者やメーカーに電話をかけても「いつもお世話になってます」という言葉すら聞かないこともあります。出向元の会社に電話をかけた時は、「ご苦労様です」とか言う言葉どころか「おはようございます」とかいう言葉が出てくる事も稀です。憂鬱な声で、「はい、○○(部署名)です。」と言うだけ。

そういう僕も、仕事が忙しい時にかかってくる電話に対し適切な対応ができているかと言うとそうでもありません。また、そんな職場にいて、自分もそういう電話の対応が当然のような気がしていました。全てがそのせいだとは言えないかもしれませんが、人間関係が希薄で職場が殺伐としている一因ではないかと思ったりします。

よく欧米人はお世辞を言わないと言われますが、そんなことはなく毎日お世辞だらけです。それは日本人みたいな媚びるお世辞ではなく、小さなことでもきちんと良いところを見つけて褒めるのです。こういうところを全然見ないで、上辺だけの個人主義を真似たりするから、日本の社会はどんどんギクシャクしているのではないでしょうか。

人を蹴落とす事ばかりではなく、人を思いやる気持ちを常に持ちながら仕事をしていれば、こういう状況も改善され、自然と人や環境に優しい技術のアイディアや工夫がもっと生まれてくるのかもしれませんね。

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2006/04/01

ブラザーフット

戦闘時の描画がとても生々しく、見ていてとてもつらい映画でした。
ですが、去年高遠さんの講演で見た写真から想像するに、実際はもっと惨いのではないかと思われます。そして、今でも大量破壊兵器を持っていないイラク人が、大量破壊兵器や化学兵器を持った軍隊に惨殺されているのです。

戦争を美化したり賛美したりする人がいますが、こういう人はWBCやワールドカップ、オリンピックみたいに、戦争もニュースで結果を聞いているだけで済むとでも考えているのでしょうか。

時々、戦争なんだから当たり前だという人がいます。
ですが、戦争自体が当たり前ではありません。

時々、人の歴史は戦争の歴史だからと戦争を肯定する人がいます。
それは、人が歴史から何も学ばないという愚かさの証にすぎません。

時々、戦争によって多くの技術が進歩したという人がいます。
それは本当に進歩なのでしょうか。

もし、日本が戦争に巻き込まれるようなことがあれば、僕は真っ先に「非国民」として日本人に虐待され、殺されるでしょう。それは、僕が中学生の時に体験した出来事から、確信のようなものを感じています。

僕が中学3年生の時に引っ越しをして、ある一人の気違い教師が牛耳っている学校に転校しました。その学校には、「男子の髪は3mm以内」という校則があり、僕も髪を切る事を強要されました。しかし、その校則に納得がいかなかった僕は、放課後になると職員室で「何故そのような校則があるのか」ということを問い続けました。そして、返ってくる答えは「ルールだから」というものばかりで、およそ納得にはほど遠いものでした。
教室で同級生にその話をすると、皆口を揃えて「俺も疑問だ。何故そんな校則が必要なのか理解できない」と言っていました。

そして、転校してから数ヶ月後、教師達に「納得ができる説明と理由がないので、この校則には従いません」と宣言し、数ヶ月間髪を切るのを止めました。もちろん髪はどんどん伸びて校則の規定を越えましたが、教師は誰一人として僕を責める事はありませんでした。

それから、始まったのが同級生達からのいじめです。陰湿で、正々堂々とはかけ離れた行為を何度も繰り返す同級生達の目的に僕は全く賛同できませんでした。この話を聞いて、「そうなるのは当たり前だ。馬鹿じゃないの?」と思う人はたくさんいるでしょう。そして、そうしたいじめを行う同級生は皆、気違い教師が顧問をしている部活に所属している人間であることも、納得するのでしょう。

結果的に校則は変わりました。校則が変わって、気違い教師の言った一言は「お前が髪を伸ばしていたから校則が変わったんじゃない」というものでした。それ以降いじめも無くなりました。また、いじめについて謝罪する人などもいません。

「この話と戦争と何の関係があるのか」と思う人がいるかもしれませんが、僕はこれを戦争時に於ける人間の行動の縮図だと感じています。
人は、あるルールを決められると、それが正しいか否かという思考を止め、ただ従おうとします。そうなると、そのルールが正しいか否かは重要ではなく、ルールに従うか否かが判断基準となってしまうのです。
そして、戦時下に於いて正しいルールが作られる事は稀です。平和な時にやってはいけないと言われる事が、戦時下ではやるべき事になり、軍隊に於いてはそれが賞賛に値する行為となるのです。
そしてそのルールに従わないと、平和な時にはやってはいけないと言われる行為で罰を受けるのです。

兵器に転用できるような技術を使った製品を特定の国に輸出する事は禁じられているのに、実際に戦争を起こす国に兵器を売るのが認められているというのは変じゃないですか?兵器に転用できる技術を禁止国へ輸出するのが悪い事なら、戦争を起こしている国に兵器を売っている日本の企業も人殺しに加担しているという責めを負うべきではないでしょうか。
こういう事も、ルールがあるとそのルールの善悪より、ルールに従う事を是とする事実を物語っていると思います。

戦争によって、地獄を見るのは一般人と敗者です。一部の階層にいる人だけが利益を得ながら、地獄を味わった一般人に復興を呼びかけるのがオチです。

戦争って誰のためにするの?

戦争を賛美する映画を作って、人殺しを英雄と祭り上げる国の言う事を鵜呑みにしてはいけません。僕はあまり戦争映画を見ないので間違っているかもしれませんが、戦争をテーマにしてハッピーエンドを描くような愚かな国は限られているように感じます。

とにかく、悲しい映画です。戦争を賛美している人にこそこれを見てもらい、「戦争は必要悪だ」という考えを改めてもらいたいと思います。

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