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2005/12/27

組織にとっての忘年会

職場の忘年会がありました。今日の忘年会は、直接一緒に仕事をしない人ばかりとの忘年会だったので、新鮮な空気が吸えて楽しかったです。

座席に番号がふってあって、座敷に上がると番号札を箱から選んで取った番号の席に座るということをしてたのですが、これが良かった。どうしても知り合い同士で寄り集まってしまうので、こういうことをしてもらえると知らない人と隣近所になれるから、年上の方や普段あまり話するような事の無い立場の方ともよく話ができました。

ということで、普段話をしない人との交流を深めるため、奮闘してきました。
あまり物覚えが良い方ではないので、何度か顔を合わせたことがある所長さんにも「はじめまして」とか言って近づいたりする失礼もありましたが、概ね新しい人との交流という目的は達成できたと思っています。

うちの職場はセクション間の交流があまりにも無さ過ぎるため、変な軋轢が多々生じています。各人は悪い人たちではないのですが、組織の中で働くとそれをうまく生かす事ができないでいるように感じます。また、これを打開するための方策を考える人もそれほど多くはない上に、その軋轢のため「打開」の必要性すらも感じていない人もいるようです。

僕は以前、自分の実力をつければ仕事はうまく行くと思っていましたが、色々と習得しても仕事はなかなかうまくいきません。悪いものだからと言ってすぐに変えようとすれば他がついてこず、時間をかけて導いていこうとすればいつまで経っても改善されていかない。独学で覚えてきた事を仕事に応用しながら様々な改善を心がけてきたのですが、考えていたほどの成果が出てこないし、また発展もしない。
最初は理由がよくわからなかったけど、今は確信を持って「組織の問題」だと言えます。

個人が悪いのではなく、組織の方向性や位置づけがしっかりしていないと個人がついていくすべが無いのです。現在の社会に於いて、多くの個人は方向性を示されないと何もしないように感じます。
当たり前の事だと言う人がいるでしょうが、先日も話題にした「過剰な個人主義」は本当に多くの問題を含んでいると思います。今、自分の置かれた状況からどうすべきかを考える材料の中に「過剰な個人主義」が入ると、とても集団行動などできません。集団行動ができない人が組織の中に所属するとその組織をだめにします。
蟻や蜂が個人行動などしたらどうなるでしょう。巣がなくなりますよね。

個人を捨てろとは言いませんが、自己と同じくらい他人も大切にしなくてはなりません。他人を大切にしないで、自己を大切にする行為はただのわがままです。

ということで、組織の中に於いて忘年会はただの行事という扱いのままではなく、チームとしての団結を深めるような行事となる工夫がないと近い将来には忘年会は無くなってしまうかもしれないと思いました。逆にそういう工夫をすれば、その組織はとても強くなれるのではないかとも思います。

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コメント

以前勤めていた会社で入社当事(随分前の事だよね?!)は、忘年会や新年会は勿論、歓迎会・送別会・○○のつどいだの、1年の内に「飲み会」と言うものが頻繁に行われていました。日頃から交流のなかった人との関わりを持つ事ができ、日常の仕事の連携もスムーズに運べる様にもなっていました。世の中が「セクハラ」問題で騒ぎ出した頃、問題が起きては困ると言う事で本部より「慰安旅行の中止」「飲み会の萎縮」の通達があったのと、景気も悪くなり会費制が導入され苦情の声が上がっていたなどの原因でどんどん交流の場がなくなっていきました。今では同じフロアーで仕事をしていても顔・名前しか知らない人がいるそうです。まさに「組織にとっての忘年会」記載の意識を世の中の人に考えて欲しいものです。

投稿: 0306 | 2005/12/28 10:33

0306さん、コメントありがとうございます。
何でも過剰に進み過ぎなんですよね。杓子定規じゃなくて、バランスを考えながらやればいいのではないでしょうか。
ただ、そういう機微のわかる人が少なくなってきてるようにも感じます。

相手がいる事なので難しいですけどね、一生懸命考えていればいい解決法が見つかるはずですよね。

投稿: きむらしのぶ | 2005/12/28 18:21

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