以前、かみさんが日本語を習いに行っていた団体の主催で「国際交流のつどい」というのがあって、参加してきました。
しかし、この日は忙しく、朝はかみさんの通っている教会で第三子の「幼児祝福式」とやらがあり、それにも参加しなくてはなりませんでした。なんだかんだと慌ただしくはありましたが、へとへとになりながらそれなりに楽しいひとときを過ごす事ができました。
国際交流のつどいのプログラムを簡単に紹介すると、まず地元の幼稚園児による前座(歌)があり、県内在住の外国人による日本語のスピーチ、続いて各国の料理を持ち寄っての会食。そして、UK出身の方の創作落語があって、○×クイズと続きます。
僕たちは、幼児祝福式のために多少遅れて参加したので、スピーチの半分くらいから聞き始めました。
スピーチをする人は、日本に来て数年の人から十数年の人まで様々でした。あまり上手ではない日本語によるスピーチもありましたが、いろいろと苦労をされているようで、主張したい部分では流暢な日本語で力説されていました。僕は海外で生活した事がないので、それがどれほど大変なことなのかは想像するしかありませんが、日本も外国人を受け入れるならもう少し対応をよくしてもいいのではないかといつも思います。日本語しかない道路の看板やJRの案内板ってまだまだ多いけど、あれに英語を併記するだけでもずいぶん違うものになるそうです。
次の会食では、えさに群がる禿鷹と言った感じで、乾杯の前にほとんどの料理がなくなってしまいました。こういう時には国民性がよく見えて、遠慮のない国とかマナーのある国とかいろいろと感じる部分がありますが、一番意地汚く見えたのは日本人のおばさん連中でした。人数に対してとても料理が少なく、テーブルも小さかったのに、皿に料理を取ってもそのテーブルから離れる事はなく、「おいしい、おいしい」と連呼しながら食べては盛ってを繰り返していました。後ろに、空っぽの皿を持った人がいても気付く様子も、気にする様子もありません。
これが世界の縮図なのかなと感じてしまいました。
もっとよく考えなくてはなりません。世界には明日の食べ物にも困っている人が何人もいるのに...明日の食事に心配のない人が、これらの人にしてあげれる事は山ほどあるはずです。
創作落語は国際結婚をテーマに、言語の違いや文化の違いをおもしろおかしく語って、楽しませてもらいました。
○×クイズでは、地元のことや世界の様々なことを問題にしていましたが、「○」と言って不正解ということにされた人がゲームから外れた後に「実は×でした」とか言ったりして、なんだか皆やる気を失っていましたが、正解者への商品がボールペンだったことから、後半は参加者が急激に少なくなっていきました。
最近英語にご無沙汰だったので、友人から紹介してもらったオーストラリアの方の英語を理解するのにとても苦労しました。結局、相手が日本語OKだったので、途中からほとんど日本語になってしまったのですが...いかんですな。
また、近所にインドネシアの方が引っ越してきていたことがわかり、いろいろと楽しくお話をさせて頂きました。今後も交流を続けていきたいものです。
他にも国際交流に興味がある日本人もたくさんいたので、こう言う集まりを通してそういう人が次へ進むためのステップになれば良いなと思いました。
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