「ものづくり」の心
娘が「粘土で遊ぼう」と誘って来たので、一緒にいろいろ作って遊んでました。
一生懸命作っている娘が、どう考えてもそうは見えないものを「ネコだ」、「イヌだ」と自慢します。ついつい「それはネコには見えないなぁ」と言ってしまうのですが、ふと思うことがありました。
僕が粘土で何かを作り始めると、まだ形のできていない状態で娘は何を作ろうとしているか当てるのです。これは別に娘がすごいわけではなく、多分ほとんどの子供ができるのだと思いますが、なぜわかるのかなという事に思いを巡らせてみました。
これはつまり、娘が自慢した粘土の塊は、やはりネコやイヌだったのでしょう。僕たちは大人になるにつれ、多くを見聞きします。そして次第に、ものを識別する時に多くの特徴を必要とするようになっていくということです。子供は多くを知らないから、直感で知っているものを連想することができるだけで、知らないものを作り始めたらもちろんわからないのでしょうが、大人は「直感で連想する」ということが苦手になってゆくのでしょう。
よくプロジェクトが進行するにつれ次第に問題が露呈してゆくことがありますが、ここでこの子供の直感があれば、問題が具現化する前に対応ができるのではないかなと思ったりしました。非常に難しいことは承知していますが、陶芸の匠は台の上におかれた材料を見る時に焼き上がった後のイメージが見えるそうですし、画家はキャンパスに向かった時点で無地のキャンパスに完成した絵が浮かびそれをなぞるだけだというではありませんか。
目指す道を示す「ヴィジョン」とその道の辿り付く先を描く「イマジネィション」に必要なのは知識だけでなく、直感力も重要な要素なのかなと感じました。
ちなみに粘土細工でPCを作ってみました。しばらくプロフィールで使ってみようかな。
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